続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

イスタンブールに一人旅したら絨毯の押し売りにあった

海外に一人旅をしたのなら、親切に話しかけてくる外人には気を付けよう。
もし現地の方との交流を期待して海外に行くのなら大いに交流した方がいい。
しかしそういうのを期待していないところに予期せぬ交流が起こったとしたら、第一に警戒をするべきだ。
なにせトラブルに巻き込まれたところで英語が話せない場合、海外では法的な手段はおろか周囲に助けを求めることもままならない。
 
それはイスタンブールに着いた初日、アヤソフィアの真ん前で開館待ちをしている時だった。実に現地に着いてから3時間。ほやほやの一人旅初心者に一人のトルコ人が声をかけてきた。
「Are you japanese? solo trip?」
現地での第1回現地交流にうろたえつつ「そうだ」みたいなことを言っていると相手はガンガン話しかけてくる。
「はぁ」なんて言っているともう一人トルコ人がやってくる「あぁ、こいつは俺の親族でね。近くで店をやっているんだ」
この時点でクロである。一人で来ている観光客に多勢でまくしたてるというのはまともな神経を持つ人間のやることではない。
一応「俺はこのモスクを見る予定なんだ。馬場(近くに競馬場があるとしきりに言われていた)を見るつもりはない」と抗弁するも
「じゃあこのモスクのフォトスポットを教えてあげるよ」なんてぐいぐいと路地へ連れていかれる。まともな神経を以下略

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↑フォトスポットを案内する怪しい人


結果、フォトスポットを案内されつつ、「いとこが日本にいてね。あぁ、俺の名前は『東郷』だHAHAHA」「俺とお前はもうトモダチだよな?」とか言われつつたどり着いたのは絨毯屋だった。ご存じペルシャ絨毯である。そう、これは絨毯押し売りの典型的な1例だ。今これも見ている人間はゆめゆめ引っかからないように。
ここでの教訓は、「知らない人に自分の行きたくないところに案内されそうになったらダッシュで逃げろ」だ。しまじろうだって似たようなことを言っている。
相手は語学で押し切ろうとしてくるが「Bye!」とか言って遠慮なく逃げたらいい。旅の恥は掻き捨てだ。
 
一応、店に入った後の話をするとこっからは典型的な押し売りの流れだ。チャイを飲ませ、部屋の奥のソファに座らせ周囲に親族(というらしいスタッフ)を座らせ
心理的物理的にに退路を断ち、次々に商品を見せてくる。そして「買えなんて言ってない。お気に入りを選ぶんだ。どっちがいい?」と執拗に2択3択で選択を迫る。
「No!」と言ってると「This is travel memory! Your mother's gift!」とか「お前が欲しい欲しくないではなく周囲の人々のために買え」と言ってくる。
きりがないので「I don't buy gift now」と演技じみて(多分言葉では伝わってない。買わないなら態度で示そうよ)言うと「No carpet?」と別のランプとかチャイグラスとかを
見せてくる。そこでも「Not for me」とか言ってるとついに「Get away! I waste my time! You say TOMODACHI! No?」となんだか逆切れされ、解放された。約40分の攻防だった。
 
ちなみに店内では、同じような一人旅の観光客が同じようにつかまっていた。奴らは一人で男で眼鏡の観光客を狙っている。みんな気を付けよう。
知らない人にはついていかない。知らない人がこちらに要求をして来たら従わないという事だ。それが海外ならなおさらだ。
 
もちろん、良い交流だってある。レストランでイカを食べていたら隣のおじいちゃんが「失礼、それはメニューのどこにある?美味いか?」と聞いてきたり
店員のお姉さんが俺のつたない注文に「Perfect!」と言ってくれたり。その程度かよ!海外行ったならもっと周りと肩組んで歌って踊って一晩相手の家泊まって人生最高の友達作ろうぜ!みたいな
意見もあるだろうが、夕焼けをバックにジャンプするアイコンの大学生が書いたnoteでも見ててくれ(インターネット悪口)。
 
余談だが、この2時間後、アヤソフィアを見て満足した俺の前を、同じ店で捕まっていた観光客が通り過ぎた。彼はなんだか大きな袋を不自然に抱えていた。

 

海外一人旅は気を付けろ!

2020年初心表明

あけましておめでとうございます。

2020年になりまして、2019年を思えば漫画一冊アニメ1本ほか寄稿、みたいな戦績でした。微妙。ネットに絵も上げていない。

割に色々旅に出て結構楽しかったです。

 

さて2020年、元号を初めてまたいだ年明けですがとりあえず抱負としては自分のアウトラインをしっかりしていこうと思っております。どうにも自分に疎く、自分が何を欲しているのかよくわからなくフラフラとしている事が多いので、しかし自分が何者かという内面への飽くなき問はそれはもう一生のものなわけで今更口に出すものでもないので、ニュートリノの観測方法のごとく、人工的に新しい元素を見つけ出すがごとく自分のアウトラインを異物との接触で規定して行くのを目標にしたいと思います。その中には奇跡的に一瞬の光を観測する接触もあるでしょう。そういう瞬間を大事にしていきたいと思います。

 

昨今様々なサブスクリプションで触れられる情報が莫大に増え、映像も音楽も今は連綿と続く海岸線で貝を拾うように楽しんでいます。いいものに出会うと嬉しい。

 

あと服もご飯もなんにせよ選び取るという行動を多くしていきたいです。選択には負荷がかかるのでポジティブな選択を積み重ねていきたいです。

今週のお題「2020年の抱負」、こんな感じでどうでしょうか。

 

本年もよろしくお願いいたします。

今年買ってよかった物五選

今年買って良かったものを列挙する。なぜなら今年は物を買ったからだ。まず、物を買うという行為を積極的に行う意味を朧げながらに理解したというのが収穫だった。それは尊厳である。貰い物とか、タダのものとかはとにかくお得だし先立つものは金なのだけど、しかるべき物にしかるべき値段を出し所有するというのは人間の尊厳を補強してくれる。身の丈に合わなくたって行為の記憶が経験が支えとなってくれるのだ。物を買って尊厳を守ろう。そんな尊厳の箇条書きが以下である。

 

○液タブ

高額だった。この購入の経緯はブログにも書いたが、稼働率もとにかく高かった。効能としてはとにかく絵を描くハードルが低い。iPadとかもそうだが、思い立ってペンを持てばすぐ絵が描ける気軽さは時間のない勤め人に有用だった。

 

○椅子

これもブログに書いた。使用感を書くと言って半年以上経ったが、結果問題はなく使えている。中古でも特に耐久性が低いとかいうこともなく長く腰の相棒になっていってくれるだろう。

 

○眼鏡

オシャレ眼鏡である。俺はこの眼鏡をオシャレだと思っている。そんな物を自分に買うことは珍しく、つまり見た目への投資をしたということだ。見た目への投資と自分の充足感が釣り合う買い物をしたのは初めてだった。これは良いことだと思うので、充足することで結果見た目も世間の平均に近づける運動は継続していきたい。

 

○欲しい服

上に同じく。とにかくスタンドカラーのシャツが欲しくて、買ってしまった。なんかイカすと思いませんか?スタンドカラー

 

○コット

キャンプ道具である。つまり簡易ベッドだが、友人宅に泊まるときにも少し重さを我慢すれば快適な眠りにつける物だ。もう徹夜をしない身体になって睡眠が大事だと気付いた今、フローリングに座布団では到底快眠は無理だ。コットでぐっすり、これに尽きる。

 

以上、買って良かった物五選でした。来年もこの方向の満足が出来れば人生上々である。

今年見たコンテンツ諸々(映画他)

平成と令和を跨ぐ今年は文化的な年であった。よく見、よく聴き、よく食べ、よく行った。文化的、と言うのは文化を五感を横断する座だと考えているからである。五感を使い、横溢するカルチャーの糸をたぐり解きほぐすという地道な働きかけでしか文化は感じられず、その働きかけの過程を教養というのだと思っている。その点それぞれの感覚に働きかける行動は、行動という見方をすれば別(出力が別)だが大元は同じ欲求に突き動かされているという例が今年は多かった。つまり、文化的だったということだ。

 

なんとなくのトピックとして

・SF面白い

飛浩隆から始まり、今年はSFの年だった。とにかく天冥の標が今完全にやばい。ここ半年はずっとこんな感じです。久々に、脳に新鮮な酸素が行き渡るようなセンスオブワンダーを浴びている。遡って、活字の良さに最近回帰している。売られている活字をしっかり読むこと、活字を自分の意思で、時間軸で読むことの大切さは認識していきたい。

・シティポップ良い

山下達郎から始まり、シティポップ界隈の音楽を好きになった。ライブはサカナクションがとにかく良かった。チルアウト論には疎いのだけど、まさにチルという概念に触れた年であった。

・カレー美味しい

カレーというか、辛いものが割と好きだと気づいた。スパイスの旨みだろうか。そこから多国籍料理に関心は移っている。様々な国の料理を食べるのを趣味にしたい。

 

そして今年の羅列が以下

○今年見た映画

・シャーロックホームズ シャドウゲーム

・アクアマン

インターステラー

・ファーストマン

スパイダーマン スパイダーバース

・ROMA

海獣の子供

・劇場版ガールズアンドパンツァー第2章

・シャークネード

・シャークネード2

ロンドンゾンビ紀行

・アリータ バトルエンジェル

・ワンスアポンアタイムインハリウッド

・アド・アストラ

ジョン・ウィック3

・ナイスガイズ

冷たい熱帯魚

・MEGザモンスター

カウボーイビバップ天国への扉

スターウォーズスカイウォーカーの夜明け)

 

○今年見た映画じゃなくて良かったやつ

ストレンジャーシングス1・2

・キャロルアンドチューズディ(1期)

氷菓(観賞会)

ヴァイオレット・エヴァーガーデン(途中)

 

特にスパイダーバース、ワンアポ、ストレンジャーシングスが良かった。

 

あと旅行も、キャンプ中心(というか温泉宿以外は全てキャンプだ)に四国を制覇したり房総に繰り出したりと様々だった。キャンプはいいぞ。

 

そんな感じで、来年も様々に触れていきたい。触れなければ感じられない。物事はフリック程度の接触では感じられないことばかりなのだ。

 

2019/10/4行列の先頭ライブ感想

10月に見た『行列の先頭』ライブの感想をサルベージする。とりあえず雑多な印象。

 

ランジャタイ

漫才でインターステラーをやっている。インスピレーションの飛ばし方が、絶妙に脳内再生可能なスピードに調整されておりかつ非常にクレバーで理解するは喜びがある。とりあえず暗闇で飛んでくる武田鉄矢には気を付けた方がいい。M-1準決勝楽しみにしている。

かが屋

コントの情報量の粒立ちがすごい。ストーリーとドラマの配分、コントの仕掛け、感情の伏線どれも一級品。ラストにふさわしい。曜日の伏線。途中話が途切れ同時に転換する時の舞台のレイアウトの完璧な立ち位置。ギリギリフィクションを出ない域の周囲の巻き込み方。話し方のボルテージと、最後彼を見送る彼女が机で手を叩く仕草!

会話の核の脱線の男女リアリティといい、全てが完璧。紛れもなくコントの新時代である。

空気階段

基本大喜利なのにそこまでの緊張の作り方が上手いし笑いどころになってる。かたまりが狂うネタ大好き

宮下草薙

暗い想像力のネタは単純に面白いので力関係をどこまで持ってくか。平場をあまり見てないのでどういうコントロールをしているのな。

四千頭身

ステマチックに漫才を崩す手口は一級品

三四郎 漫才をめちゃめちゃにするな

 

以上です。M-1楽しみ〜

オタクは脱落するものか

オタクは脱落するものなのだろうか。

年を重ねる毎にオタクはオタクをやめる/やめない論を様々な形で話題に挙げる。友人らと会っても必ず『我々はオタクだろうか』という話をしている。ネットの上でもそれは変わらずそこらかしこのクラスタで行われている。時には『オタクやめます』なんて宣言する人もいる。これに一貫して言えるのはこの話をする人が全員、オタクはやめられると思っている事である。当然やめられないものに辞めるやめないの話をする意味はないからだ。しかしどうだろうか。オタクはやめられるのだろうか?

結論から言えば、俺は無理だと思っている。

 

オタクをやめるというのはどういう状況か考える為にはオタクを定義しなくてはならない。何かについての良書は常に何かの定義から始められる。そしてオタクの定義というのは様々であり掴みどころがない。つまり以降の話が掴みどころのない話になるのは必然であり俺の思慮の足らなさに起因するものではない(この期に及んで言い訳をするな)。

 

オタクをやめる、という言葉の不思議さは「やめる」は自動詞なのに「オタクをやめる」に包括される行動は全て他動詞、他人に観察される行動だという事だ。例えば「絵を描くのをやめる」がそうである。

あるオタクが絵を描いていて、Twitterで人気を博していた。それがある日突然絵がTwitterにあがらなくなる。これは「オタクをやめる」の典型的な例である。しかし、もしかしたらそのオタクはTwitterに絵をあげないだけで自分のために絵を描いているのかもしれない。この場合、オタクはやめていないと言えるだろう。SNSの時代に顕著だが、「やめる/やめない」が「見える/見えない」と同一に扱われることは往々にしてある。

 

そして俺はオタクの定義は見えないものだと思っている。オタクは志であり、物理的心理的に関わらない物事への運動の仕方、働きかけ方かオタクだと思っている。これは目に見えないが確実に『分かる』。この点においてオタクにはジャンルが違えど互換性があると思っている(時々特定のジャンルを別のオタクエリアに持ってくる遊びが成立しているように)。

この定義でいけば、オタクは顕在化せずしかし人の生き方に大きな影響を与えるものだ。何せそれは思考に及ぶからである。つまり一度オタクになったものは、成果物を出そうが出さまいが在り方としてオタクであり続ける。我々は運命の黒い糸で焼豚の様にぐるぐるまきになっている。

 

だからというわけではないが、時々思いを馳せたりもする。かつてネットで繋がっていた人々、今はもう連絡を取れずなまじ成果物が耳目を集めていたためもうオタクでないと呼ばれてしまう人々が、その生活の端端でオタクで在ってしまう瞬間を。どこまでもオタクは続いていく。

だから時々戻ってきても良いとも言える。インターバルを空けてオタクに帰ってくる人だって沢山いる。脱落、辞めるなんて言わないでオタクで在り続けてくれと思うのである。ただオタクは続いていく。

日記(09/28~29)

ディズニーランドに行った。これは会社のイベントであって時々起こることだ。朝から並んで、程々にいろいろに乗り(スペースマウンテンは面白い)様々を食った。ハロウィンだからかコスプレをしている人も多く面白かった。なんというかコミケのそれとは場所も違えば雰囲気も違うというか軽装から重装備まで様々が混在している感じが良い。みんな精力的に動いているのでにぎやかだし。普段会わない人々がたくさんいるのでそれはそれで楽しい。スター・ツアーズなんて映画と同じ小道具があるだけで興奮したのでオタクはちょろいものだった。

とかくディズニーは疲れる。会社の人々と別れた帰宅途中足が棒になる中、乗換駅の構内で偶然学生時代の友人二人と遭遇した。聞けば彼らも昼からだべっていた帰りだったらしい。そのまま構内で終電まで立ち話をした。1時間ほどだったがかつて学校に通っていた駅で普通に立ち話をするという馬鹿げたシチュエーションだとかそれぞれの興味方向が微妙に違う中お互いの近況(これはハマっているジャンルや面白かった出来事の話でありお互いの環境の話ではまったくなかった。逆に日中夢の国では環境の話ばかりしていたともいう)はめっぽう面白く足の疲労も忘れるほどだった。

 

翌日、足の疲労は確実に残っていたので丸一日家で過ごす。FRENZ後初の家で過ごす休日だ。とりあえずストレンジャー・シングスの1シーズン目を見終わる。5話からの話の加速が面白い。ヒューマンドラマの描き方があっさりしていて古き良きSFの風味が強い強引な脚本なのがよかった。自転車に乗ってどこまでも行きたくなる。シーズン2も見なくてはならない。

そしてゼルダの冒険BoWをインストール待ち時間に昨日進められた少女終末旅行の1巻を読む。アニメより漫画がいいと勧められたけど漫画ならではの技法が冴えていてとても良かった。

その後BoWを遊ぶ。生まれてはじめてまともな据え置きオープンワールドゲームをやるが環境の描写がすごすぎて無限に遊べるやつだった。とりあえず祠がまだ見つからない。

また映画も予約したし、コンテンツに触れていかなければならないな―という一日だった