続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

天冥の標全部読んだ

天冥の標全部読んだ。全10巻17冊。長大な読書体験だった。読了したもので言えば終わりのクロニクルに匹敵するものだった。読み終わって思うのは、これほどの物語がこの世に存在していてよかったなぁということである。

 

正直、物語を俯瞰してテーマがどうだとかを言えた話ではない。頭が悪いので、この差し渡し(この表現をこのシリーズで知った)1万年にも及ぶ時系列を縦横無尽に行き来するストーリーライン、その全てに息づくキャラクター、それらの思惑を整理して語ることはできない。それこそトリビュータリーが出会ったときのように、別の生き物の語彙を借りるなどしないと到底不可能なことだ。かと言ってこの物語の鮮やかなトリックや伏線を詳らかにしてネタバレを犠牲にしてでも未見の人にアピールしようというのも違うと思う。そこでうける衝撃はその鮮やかさだけでなくストーリーに乗った思いを汲んでこそだと思うからだ。つまり、天冥の標について語り得ることはないのだ。ないのだ、で終えられたらオタクは苦労しない。自分でも理解し得ない感情をそのまま吐き出すのでなく自身で醸造して、一滴を絞り出し他人に押し付けるのがオタクの常道ではないか?

 

天冥の標は多様性の物語だ。LとかGとかBとかDとかにとどまらないすべての宇宙に在るそれらについての物語だ。そしてそれを語る発端は「対話」にあり(Ⅴ巻)、火口は「分断」にある(Ⅱ巻)。物語中、人類は宇宙空間へと拡散し、増え、栄え、多様性を獲得した。それを多様性というのは宇宙が広いから取れる、取らざるを得ない選択肢が多かったことと関わっている(『酸素いらず』の多様性は国家の端緒に関わっている(Ⅲ巻))しかしその中でも細かな分断は行われ(男女のセックスの違いとか(Ⅹ巻))争いの火種になっている。特に巨大な分断は『冥王班』というウイルスで(Ⅱ巻)とてもタイムリーに2020年起きている分断でもある。これはたまたまだが、この現実が天冥の標というフィクションを下支えする想像力を養っているというのはとても皮肉だ。

 

そうしてズタズタに引き裂かれた大きな勢力、小さな個人を繋いでいく営みが物語のテーマだ(の、少なくとも1つだ)。これはネタバレには当たらない。行った物語が帰ってくるように、引き裂かれた物語はつなぎ合わされる。しかしその引き裂かれ方、つなぎ合わせ方はSFのそれである。病原菌による差別が宇宙規模になったときどのように作用するのか。セックスの多様性を持つヒト達が助け合うためには何が必要なのか。男女の概念が異なる諸属とどのように共生するのか。このイメージを描くSFの筆致は全巻通して衰えない。この多様性という必然の出来事を強烈に描くため、SFという長大な時間軸を操るリーダビリティがある方式が選択され得たのではというようにSF性はテーマと密接につながっている。目の前にないものを想像し喚起するこの方式は、物語のラストと循環しているように今思える。深読みのしすぎだろうか?『作者の人そんなところまで考えていないと思うよ』?チヨちゃん、それは寿ぐべきだ。『この物語はそう思えるほど考えられる物語だからだ』

 

とにかく、天冥の標を読んで欲しい。心の底からおすすめできる。今なら全巻セットでKindleが1万円しないぞ。

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不要不急の週末料理

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ダッチオーブンで焼かれた鶏肉

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フライパンパエリア

コロナウイルスによって週末やることがなくなり、時間を持て余したので料理をすることにした。ダッチオーブンも買ったし(これはGWのキャンプ用であるが、流石にキャンプを自粛はしたくない。どうなるだろうか)。

 

料理に関する自分の姿勢というと、全く作らないわけではないけど積極的にやるわけでもなくレパートリーはないがレシピを見れば及第点は取る、みたいななんとも普通なスタンスである。でも時々やる料理は楽しい。物体に熱を加えたり、任意の形に切ったりするのはインタラクティブで刺激的だ(もっともらしい言葉を書いているけど実際やってるときは『ウケるな―』みたいなことしか考えてないです。そこに食べるための工夫とかを考えてないのでよくない)。

とりあえず自分の予想を超えた動きが料理中には起きるので、かつそれはリカバリーできる(焼肉のタレやめんつゆなど)事が多いのでみんなやったほうがいい。格闘マンガとかで「誰が一番強いかやってみようぜ…!」とかよく言うけど料理やってるやつが一番偉いのは明白だからだ。ごはんはおいしいし。

 

その他の休日は何をやっていたかと言うとゲームと通話とボドゲとアニメです。おしまい。

 

旅前夜

旅前夜。会社帰りにヨドバシカメラスマホケースを買う。店頭よりネットのほうが1500円くらい安かったので店頭受取で注文する。時間が空いたので服を買う。ユニクロ。服屋で服の名前で検索するのってダサいな―と思いつつする。自分の感性がないからである。

俺は服を「うかれ」ゲージで測っているのでうかれ度が高い服を買う。ズボン類は裾上げがめんどいので買わなかった。でも買いたい。必要がある。Tシャツももちょっと欲しい。意外と手を出すと欲が出てくる。

服を買っても時間が潰れなかったのでマックでストロベリーパイを食べる。美味しくなかった。この世の終わりみたいなはしゃぎ方をする高校生がたくさんいた。

Kindleのハヤカワ文庫セールで買った異世界ピクニックを読む。重くない文章。女の子が二人いるので最高。ネットロアは結構読み漁った時期があるので元ネタがわかって楽しい。「樵の仮面」は傑作です。

スマホケースを受け取って帰る。旅の支度をする。服のみつめる。何なら服はなくてもいいくらいだ。温かいのかわからない。半袖で通じるといいな。

無料分のハイキューを読んで感動していたら寝る時間だった。仕事が終われば飛行機だ。

いつでも旅の前夜は楽しい。

スマホを変えた

スマホを変えた。今まで惰性でiPhoneかつ小さいほうが良いという理由でiPhoneSEを中古で買い使ってきたのだが、限界が来た。いや、既にとっくに来ていたのだ。ただ目をそらしていただけなのだ。そんな破局寸前のモノローグのようなことを言わなくても単に端末が時代から取り残されただけなのだけど。

 

そして変えるにあたって自分がGoogleに全てを売り渡して生活している事を自覚したのでおとなしくAndroid端末を買うことにした。機種は山ほどあるけれどもはやiPhoneSEからすればどれも見違えるほどに良い。とりあえずファーウェイのP30liteにした。親しい筋から勧められたからだ。

そして注文した四日後に端末が届き粛々とSIMカードを差し替え、機種変は終了した。やはり格安SIMは便利だ。ただ端末を、SIMを黙って送るようなドライな関係性。

 

とりあえず新しい端末は巨大で何でもできるスペックを有している。しかしTwitterとLINEをダウンロードした時点で熱は大いに下がってしまった。自分はスマホで動画を見ずソシャゲもしない。カメラはミラーレスを持っているし、やることといったらTwitterと諸所の連絡、時々買い物くらいである。現代人にあるまじき貧相なスマホ使い。もっとやれることは多いはずなのだけど、このスマホの巨大な画面を前にして今は途方に暮れているのだ。とりあえずKindleを試してみようかな。ハヤカワが安いし。

メソポタミアを食べる+夜通し飲む

世の中には二種類の人間がいる。メソポタミアの食事をした事がある人間とない人間である。前者に属する事は容易ではない。然るべきタイミングに店の予約を取る事が必要だ。そしてそれをしたので、無事某日都内某所にあるバーに辿り着いたのだった。

 

あからさまに「バー」な空間の中提供されるのは3品のメソポタミア飯だ。そしてバーなので酒も頼むのが礼儀である。友人と酒を頼み、しばらくすると2組の予約客が入ってきた。このメソポタミア飯情報はオタク界隈で拡散しているので全員がオタクである。マスターの話によれば、予約客は圧倒的に女性が多いらしい。不思議な話である。今クールFGOのアニメがやっている事、そのアニメのタイトルにバビロニアという名前が含まれている事、バビロニアの神話に出てくるエルキドゥとギルガメッシュが『世界最古の友情を描いた物語』とされる物語に出てくる男性二人(エルキドゥは曖昧だが)である事と何か関連があるのだろうか。疑問は尽きない。

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ルーン文字が刻まれたグラスで提供されるビールを飲んでいるといよいよメソポタミア飯が現れる。

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上の画像はその一例だが、要するにスープ上の物がメイン格だ。大麦を使ったおかゆである。食べてみると野菜の出汁が効いた滋養のある味がする。うまいうまいと食べているとあることに気づく。塩と胡椒が感じられない。それもそのはず当時塩と胡椒、香辛料なんてものは同じ重さの金もかくやという価値を持っていたのだ。世界史の教科書でその事実は知っていても、その実塩なしの料理というのはうまいが物足りなさもある。この頃の富豪が香辛料を知れば、なんとしても手に入れようとするだろう。舌の上で歴史が再現されるような面白さを感じる一幕だった。もし当時にタイムスリップするなら、コストコクレイジーソルトを買い占めてから持っていこうと心に決めた。

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また最後に提供されたのは原初のパンケーキのようなもので付け合わせの生姜と蜂蜜のソースをかけると病みつきになる味だった。メソポタミアギャルはメソポタミア原宿でこのパンケーキに列をなしたのだろう。そしてプリクラに楔形文字を落書きしたりしたのだろう。

総じてメソポタミア飯は面白い食体験だった。海外飯は好きだがここまで歴史を超えた飯はなかなかおめにかかれない。もし機会があれば皆さん行くと良い。

 

そして、メソポタミアバビロニアが滅びアレクサンドロス大王が台頭し幾千年も経った銀座で一晩の痛飲が始まった。

ここでパーティーは三人となり、主に銀座〜新橋の間をうろうろして夜を使い果たした。詳細は書かないが、寿司屋のプリキュアお姉さんや新橋の角っこの飲み屋のお姉さんや馬鹿でかく馬鹿高いわたあめのカクテルなどが登場し面白かった。酒を飲む事に重点は置いていないが友人と飲む酒は面白い。世の中友人と酒だけ飲む感じに上手くならないかなぁ。

 

とりあえずここ↓の鳥飯はめちゃくちゃ旨いのでおすすめです

鳥ぎん 銀座本店 (とりぎん) - 銀座/釜飯 [食べログ]

 

 

 

トルコスペイン旅行記。トルコ編

以下はトルコ・スペイン旅行の旅行記である。ただ現地で移動中に書いたり、帰ってきてから書いたりしているので、内容のムラがあることは否めない。(比較的)長文なのでまとめることができなかった故の自分のための端書きでもある。細かいところに目をつぶって読んでほしい。

 

 

今回は退社してその日の夜中発の便を予約したので、いかに仕事を仕事人する(婉曲表記)かが重要だった。仕留め損なったことは否めないがとにかく会社を出、乗り継ぎを重ね東京駅へ至る。この時点で成田エクスプレスの発車まであと10分であった。
何はともあれ間に合ったので、来ているスーツ、スラックス、革靴を徐々にパージし旅行の服装へとシフトしていく。おそらく彼らはどこかで遺棄されるだろう(その為に選んだ、とも言える)。
成田エクスプレスは非常に快適であり、その時間にかまけてターキッシュエアラインのオンラインチェックインを済ませる。窓際を望む子供心と11時間に及ぶ機内生活を考慮した通路側の席を望む大人心がせめぎ合い、結果窓際を選択した。これで翼の上だったら笑える(そんな気はする)。
とりあえずよりもいのOPとくるり「ばらの花」を聴く。旅には必要な音楽があり、これらはそれに入っている。同じホームに並ぶ勤め人を尻目に、赤い車体は夜を抜け異国に走っていく。


空港に着き、ポケットWi-Fiを受け取る。予想通り出発は早まっていたが、腹が空いているので閑散としたターミナルを歩き、ヒレカツ重をいただく。揚げた豚肉に白米、付け合わせの味噌汁におしんこと明らかにしばらく食べられない晩飯をかっ込んでたいらげる。今帰国したの?みたいなテンションで食べてた。隣の席が卒業旅行なのか、はしゃぐ男子六人組でなんだか微笑ましいような、うらやましいような。
航空会社の受付に行くとズラリと人が並んでいた。とりあえず端末でオンラインチェックインをし、ぺらぺらのチケット(?)を出力する。ここでタブレットとモバイルバッテリーの片割れをどうやら持って来ていないと気づき、テンションが下がる。
係の人に聞くと、オンラインチェックインの列が別にあるらしい。見ると今並んでる列の1/4ほどの長さだった。オンラインチェックインはするべきである。もしあなたが結婚を考えている相手が空港で「オンラインチェックインしてないな」って言ったら将来を案ずるべきだ。
そして手続きが終わり、荷物検査をし、出国審査(パナソニック顔認証)を済ませたら搭乗を待つのみである。とりあえず持ってき忘れたタブレットの分のKindleをダウンロードした(悲しい)。
搭乗すると隣の席が空いていた。ラッキーだったが通路側のトルコ人らしき人が我が物顔で使っているので、いやまぁ良いのだけど。とりあえず脚が長くて大変そう。
離陸時に目論見通り窓の外を見ると網目のように広がる街灯が見える。この瞬間が好きである。おそらく暗いところは山かゴルフ場かその両方だろう。
離陸から1時間、うつらうつらしてると辺りが明るくなりご飯がきた。日本時間で0時半。夜食である。どうやら席順の問題で食事カートが来るのが遅く、問答無用でフィッシュだった。ここに来てゆかりごはんを食べる。悪くない。普通に機内食うまいなー。とりあえず地中海沿岸の東側はキュウリとトマトとチーズが多いよなー。
とりあえずグレードギャッツビーを見始めるが、ディカプリオが出てくる前に寝落ちする。その後脚の向きに悩まされながらも基本的には熟睡。起きた時にはすでにロシアを横断し、あと1時間で到着といったところだった。無事に9時間寝ていた。まだディカプリオが出てきてないのに。
そして朝ごはんは知らないうちに食べ逃した。まぁお腹空いてないしよかったけど。
着陸間際、機内から街の夜景を見る。暖色に統一された灯が直方体に統一された建物から一定間隔で漏れ通りの場所を表している。高さが一定なので、ホテルが目立つ。市外は真っ暗だ。地形の差で日本らしくない物を感じる。とにかく電飾がなく、白と橙の明かりが大半なので賑々しさはあまり感じない。通りが広く、閑静な住宅地といった趣だ。まぁ空港の付近なんてそんなものか。

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イスタンブールの夜景

イスタンブール

やけにデザインが良い管制塔?を見ながら着陸。現地時間4時45分。真っ暗である。別に預け荷物もないので、焦らず身支度をする。とにかくターキッシュエアラインの幅の利かせ方がすごい。巨大な整備ドッグもなかなかにイカしている。

空港は巨大だ。機内から見えていたのもそうだが、中に入るとよりその大きさに圧倒される。曲線を意匠的に多用しているのがなんとなくのアラブ感だろうか。とりあえずパスポートコントロールの意味がわからず40分ほどロスする。調べておけよ。
エクスチェンジで換金をし(英語がわからずレートが良くなかった気もするが、これ以上換金すると資金が尽きる)、とりあえずバス乗り場を目指す。そこら辺に銃器を携帯した兵士がいる辺り、イラクの隣国である。
パッションで乗るバスを決め、イスタンブールカードに現金をチャージ。しすぎた気もする。
まだ夜も開けぬ街をイスタンブール市街に向け走る。上から見た通り街頭は暖色のみのようだ。やはり街並みが微妙に違う。車線も違う。街中の高低差が激しく、建物の形も統一されていないのでやけに雑然とした印象だ。所々ライトアップされたモスクのミナレットが街に突き立っている。建物に駐車場がなくてほぼ路駐なのが海外っぽい(オランダもそうだった)
新市街の街中を走る。狭い車道、連なるロカンタ(食堂?)パン屋。ボスポラス海峡を挟んで巨大なモスクが聳えている。やっぱり高い丘に作るんだろうか。アテネの神殿的な。夜空には国旗然とした鋭い三日月。東の空がやうやう白くなりゆき、イスタンブールに朝が来る。海峡に面する巨大なガントリークレーンのシルエットが、世界有数の海峡である所以だろう。
所々のバスの停留所は広場になっている。朝の8時でも割と多くの人が行き交い、朝6時の高田馬場ロータリーくらいには人がいる(例えが汚い)。街中に入ってしまえば飲食店のネオンサインが点々とつき始めこれから押し寄せる人混みを予感させてくれる。

バスを降りる。観光地のど真ん中だが、ホテルにも近い。とりあえずホテルに行き、荷物を預ける。なんかタダで朝ごはんも食べれたので頂いておく。チリトマトがやけに美味かった。荷物を預けて観光地へ赴く。ここで最初の洗礼というか、観光地絨毯押し売りマンに遭遇。おそらく彼らは共同戦線を敷いているようで、なんだか一人と話してると(例えば「日本から来た?僕も日本にいたよ!」とか)わらわらと二人目が現れたりする。とにかく目的はうまく観光のルートに乗せつつ絨毯店にカモを運ぶことなのて、一応観光の仕方(フォトスポットとか)を教えてくれるが基本は日本との友好をチラつかせるために日本に親族がいるとか、行ったことがあるとか言ってくる。いや、引っかかったと言ってしまえばマジでそれまでなのだがこう海外のギアがかかってなかったというのもあり、割とカモられて店に連れてかれた。店ではなんだかバンバン捲し立てられ、とにかく欲しい欲しく無いの判断でなく良い悪いの判断を迫ってくる。つまり、選択肢があれば選ぶ、という詐欺手法なのだけどとにかく電卓を持たずひたすら良い悪いの二択をさせられる。結果的にはチャイを飲みつつ、「買わないよ!」と言い続けると「友達って言ったのに……時間の無駄だったぜ!ゲラウ!」とか言われ追放された。店には中国の人らしき人もいて、とりあえずアジア系の眼鏡をかけている人をカモってるぽかった。いやはやたまったものではない。良かったことといえば英語がわからないなりにゴリ押す言葉遣いを思い出したことだろうか。ちなみにそのあと、観光地のあたりで眼鏡をかけた男旅行者が同じような絨毯売りに連れられて歩いているのを見たが、その2時間後くらいにまたその男を見たら何やらでかいビニール袋を持っていた。まさか買ったのだろうか。

と、アクシデントもありつつ観光ルートに乗っていく。とりあえずスルタンアフメットモスクとアヤソフィアである。とにかくアヤソフィアが圧倒的に良かった。日本語ガイドを聞きながらというのもあったが装飾の情報量がどこを見ても多いのに、全てが統一されている。やはり宗教施設というのは精神に働きかける力を持つ。モザイク画だったりイスラム書道だったりという物も素晴らしいのだが、個人的には壁、床の凹みが良かった。五効の擦り切れもかくやである。何百年もの信仰が物理的に大理石を滑らかに凹ましている。歴史の重みを感じられる。

アヤソフィアを出てテオドシウス帝の城壁を見に行きたいと思ったけれども、トラムの降りるべき駅がわからなかった。Googleマップで調べれば良いのだけどとりあえず海岸の反対に向かうトラムに乗る。目抜き通りをトラムが進むと観光地然とした賑々しさと街の華やかさが混在する風景が見られる。なんか大きそうな駅で降りてから調べたらもう少し乗る必要があり再びトラムに乗る。降りてからしばらく歩くと分厚い城壁が建っていた。それは坂の町を沿うように建っていて沿って歩くとその重々しさに心が高揚した。

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城壁のデティール。補修の雑な感じが最高


この後2時間ほどは目的もなく歩いたので特に何も起きなかった。やけにパンを大量に持ったおじさんとか何故か靴屋と床屋ばかりある街だとか猫だとかパンとかチャイを頭に乗せて売るおじさんとかがたくさん通り過ぎた。それは観光ではなかったが街歩きだった。そういうのが好きである。

ホテルに一度チェックインして、仕切り直す。とりあえずハマムへ。少し待たされたが割とスムーズに進む。流れとしては、100度近いサウナで汗を流す→泡だらけにされ全身マッサージ→熱湯とぬる湯をぶっかけられながらシャンプー→フェイスパック付きでタオルに巻かれ寝る→お菓子とチャイを飲みつつ身体が乾くのを待つ、みたいな感じだ。
サウナではアラブ人の集団に囲まれてドキドキしたが、とにかくマッサージがやばすぎて体の筋肉を全て解されてる感じだった。これはクセになる。整体に定期的に行く人の気持ちがよくわかった。とりあえずハマム、総じてナイスな体験だった。
ほかった後はボスポラス海峡を見に行く。とにかく港の情報量が多い。ひっきりなしに船が行き交い、空をパーティクルのようにカモメが飛び、釣りおじさんが釣りをし露天おじさんがシャボン玉を吹いている。海峡で分かたれた三つの陸地にはどれもミナレットが突き立ち、そのシルエットは異国を強く感じさせた。とりあえずフェリーに乗るとアジアサイドに着いた。極西である。散歩してから本日初のまともなメシ、キョフテを食べる。旨すぎてのけぞった。最高!
その後地下鉄でホテル付近に戻り、甘い物を食べる。端的に言えばパイの蜂蜜漬けだが、奥歯にくる甘さだ。たまらずチャイで流し込んだ。

2日目、6時に目覚めて7時にはホテルのレストランへ。多分一番乗りだった。パンがやけにうまい。
なんかこの日の文章がないので写真を貼ってごまかします。

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朝から釣りするおじさん。サバサンドになるのかな

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ガラタ塔から見た市内。丘の街ですね

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地下神殿。かっこいい~~

3日目。今日は国内ツアーである。早朝バスに乗り空港に行くことも考えたが、バスのりばに暗いうちに行くのも怖かったので23時に空港に到着し、4時間空港で寝た。イスタンブールの空港は24時間やっているので寝る場所には事欠かない。受付カウンター前やカフェなど場所を転々として飛行機を待つ。そして早朝5時の飛行機でエフェスに飛んだ。エフェスの空港で申し込んだ国内ツアーの案内人と待ち合わせる予定だったが結構待った。適当なものだ。大きめな車内には褐色肌のドライバーしかいなかった。聞けば後でツアーの参加者が合流するらしい。

車窓から見える景色は日本のそれとは全く違った。白っぽい山肌を低木が覆っている。覆うというより五分刈りくらいと言った方が正確かもしれない。日本で見たら禿山と思うくらいの密度で低木が山に生えている。道のそばの木は冬だから葉を落とし(広葉樹だろうか)ていて少し悲しい雰囲気だ(高地では風のせいか奇妙に歪んでいるのも多く不気味である)。遠くに目をやるとあまり鋭い稜線はなく、元々の地形が削られたようなずんぐりとした丘陵が続いている。
空港から山道を進む。曲がりくねった山道はやがてエーゲ海に到達し海を沿うようにさらに蛇行する。この辺りはリアス式海岸で、鋭く白い山の続きが海へ突き立っているようだ。海は深い青で穏やかな波。実際、エフェソスに近い街は夏場はリゾート地として栄えるらしい。これはそのリゾート地で合流した白人のツアーガイドが言っていた話だ。車には元から運転手と僕、そして参加者であるインド人のカップルとツアーガイドがいた。リアス式特有の鋭いカーブを抜けると所々に街が点在している。トルコの田舎ってこんな感じなのだろうか。または最近開発されたせいなのか同じ形の家が固まって建てられている。ゲームの中の街のようだ。まぁ空港からこっちまともな家は少なく使い古された廃墟か建設途中の廃墟しかなかった。工場もなく時々牛や馬がそこらを歩いているのを見ると酪農が盛んなのだろうか。石造りの家だってある。
景色を見ていると枯れた低木が多い。聴くとオリーブの木だそうだ。

マリアの家はなにやら熱心なキリスト教徒の方々と一緒になった。真言を唱え十字を切っている。
エフェソスは凄かった(以下写真)。

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エフェス。山の感じがヒストリエのそれだ!

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ランドマークである図書館。細部もすごいのよ



 

ツアーはエフェソスを出てからも続く。荒野を走って着くのは絨毯工場だ。買う気はないが何やらわからず工場に入ると、何やら乗り合わせているインド人のカップルが工場の人に話しかけている。内容は全く分からなかったがカップルが工場を出ていくので素直についていくと、カップルの男性が戻った車で話しかけてきた。多分、絨毯なんて買わないよな、みたいな事を言っている。おぉ、ツアーの流れに飲み込まれないちゃんとした人である。ニコニコして高過ぎますわね(too expensive)なんて言っておく。これはこの後の革製品屋でも同じで、店に入ったらランウェイが設えてある部屋で急にやる気のないファッションショーが始まってウケてしまった。この時もアリー(インド人の男)はさっさと出て行ってしまい、グローバルを感じたものだ。

 

そしてツアーは終わり、俺は一人名前も知らない街のオトガルにいた。バスステーションだ。なんか1時間後にどっかからバスが出るらしい。そんな曖昧な情報を与えてガイドは去っていった。仕方がないのでカルフールを見たり村上春樹を読みながら時間を潰す。全く観光地でもない異国のただの街に一人でいると感覚が曖昧になってくる。白昼夢のようだ。女学生がケラケラ笑いながら歩いていたりガソリンスタンドに次々と車が入っていったりする。そこで営まれる生活に一切関係のない俺が物体として同じ時を過ごしているってとても不思議だ。

そんなことを思っていると小さなバンが来たのでえいやと乗り込む。空港まで、おじいさんと別れた青年やおばさん、実家に帰省していたらしいカップルなどが次々と乗ってきた。生活である。

バンが空港についてから空港でしばらく時間を潰し、イスタンブールへ帰った。

翌日、早朝にイスタンブールの街をぶらついてからスペイン、マドリードへ向かう。

 

 

2/15日記(映画「パラサイト」感想)

パラサイトを見た。ミーハーなので。いや、TLで見かけていたのだけど、見る気力がなく……(同じ理由で見ていなかったシェイプ・オブ・ウォーターもやっと最近見た)。

結論、かなり面白かった。様々なエッセンス(監督個人のというのもあるだろうし映画ジャンルとしても)が詰め込まれ観客の感情を楽しいジェットコースターのように見事に操ってくる。画面(このために組んだセットらしくレイアウトが美しい)、音楽(序盤の潜入パートで毎回テーマ曲流れるの笑う)、そして演技。賞を獲ったという堅苦しさは(読み解こうとしなければそれほど)なく笑えて怖いエンタメだった。隣のカップルが口を押さえていた。

以下箇条書きだけど気になったところを書いておく。他の感想・考察ブログにならもっと色々整理された情報が書いてあると思う。あと動画。最近映画感想も動画が台頭しているらしい。見た事はないけど。

 

○移動

半地下に住んでいるという一家は常に下から移動する。金持ちは坂の上に住んでいるので地理的に仕方ないが、象徴的だ。確かに韓国って割と坂が多かった気がする。そして一家は中盤逃げる時、ひたすら階段を下に降りる。もちろん洪水の話に繋がるのもそうだし、それまでの饗宴が嘘のように下に降るのは心情的だ。豪雨は足元を下に向けて流れる。ついでだけど雨を心情の表現としてだけでなく実際の洪水に繋げて描くのスマートが過ぎる。逃げる一家の中で何を持ち出すかで人柄が描かれる(夫婦が仲睦まじい)し、トイレの喫煙シーンは最高にクールだ(タバコの意味はまだわからない)。そして金持ちはこの洪水なんて露知らず大気が綺麗になったなんて言ってパーティに興じる。雨の処理がスマートだよ!

金持ち一家は玄関からリビングまで上がってくる様に、上に登る(机の下に隠れた一家に気づかないのは下を見ないからという考察があり、なるほどー)。家自体シネスコサイズだからなのか横に広いレイアウトが多いし下に向けては動かない。地下室に行ったのも(描かれていないが)長女だけだ。長女、この点では二つの階層をつなぐ希望なのかも知れない。年上に惚れっぽいだけかも知れない。

ちなみに半地下家族が唯一上に立つのは長男が長女といちゃついてる時だけ、ホームパーティーを上から眺めるシーンだ。なんとなくこれは自問(ガラスに映る自分)だったり俯瞰の比喩として上にあるのでは。

○言葉

象徴的と言う言葉を長男は使いたがるが、最後の計画(貧乏一家の繰り返される計画がうまくいかない事と金持ち一家の事業がうまく行っているという対比は見出せるだろうか)は本人曰く具体的だと言っている。まぁ、美しいレイアウトだけど、具体的ではないな……。監督インタビューも見るに、多分実現はしない。

○光

半地下では太陽光が当たらない。だから長男は庭で日向ぼっこをする『贅沢』を享受する。

地下の家族の夫も、いつでも人が殺せる状況にいながら太陽光にたじろいでいる。陽に慣れていない描写だ。

室内光も大事なモチーフだ。メッセージとして使われているし、地下家族のそのチラつきは半地下家族洪水時のショート

ともオーバーラップする。

○脚

リビングから逃げるお父さんの足の裏は汚れている=貧乏人という事だ。

後半車内で金持ちの奥さんも靴を脱いでいるが、綺麗だしさらにその先は運転手であるお父さんに向けられている。

○石

わかんないです。でも多分責任みたいなものを表していると見ると、最後石が流水の中に置かれたのは一種の禊の比喩なのかなと思う。多義的な解釈を残すモチーフをチェーホフの銃の様に使うってスマートだな!(こればっかり)

○カーセックス

金持ちの夫はカーセックス好きなのだろうか?これを庶民ごっことして見る考察もあったけど、実際にやった事あるんじゃないっすかね。考察がすごいもんカーセックスに対する。まぁとにかく性欲が随所に見られる(地下家族のコンドームとか)のは三つの家族を貫く軸(家族体制には不可欠なわけで)なんだろう。あんな美人な奥さん、気は惹かれるだろうしね……。

 

と色々深読みできるこの映画。面白いしアカデミー賞効果でまだ映画館でやるはずなのでみんな見に行こうね。

 

ちなみにこのあと森美術館の『未来と芸術展』に行ってきた。とりあえず友達と行った方が楽しいよ。インスタレーションって大体そんなんだけど。

個人的には都市計画辺りが面白かった。メタボリズムがアンビルドのままだったのを3Dプリンターとかを使って実際に建てちゃう事がネオ・メタボリズムとして流行ってるのが良かったです。てか3Dプリンターの力って凄いな。

サスティナビリティが叫ばれる中で、それを人間に寄り添う=人間をデータで理解する事で実現するやり口が主に紹介されていて、理解の仕方がファッションだったり建築だったりデータだったり多岐にわたるという面白さがあった。そしてその理解により人間にテクノロジーを適用させどこまでそれが人道的に理解されるのか(AI美空ひばりとかね)そのギリギリを試している楽しさ。いや、わざわざ切り落とした耳を培養されるゴッホが可哀想だったり土着的な迷信をテクノロジーで再現してたり見所は沢山あった。満足。

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Future SUSHI Machine

 

あとはコーヒーとシナモンロールを食べて帰りました。うまー