続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

【令和完全版】結婚式の動画を作るときのコツ

なんか10ヶ月くらいずっとやっていたのですが友人氏の結婚式動画を3本制作しました。ワイのご祝儀はこれや。

 

で、その時のなんやかやと、結婚式の動画のコツを伝授します。「そろそろ結婚するかもしれない」「結婚したら結婚式で動画を作ることを前提でお付き合いしている彼氏彼女がいる」などの皆さまにおすすめです。俺はそのどちらでもないが。

 

◯依頼主とコミュニケーションをたくさん取ろう

当たり前ですが結婚式はオフィシャルな場ですので、趣味で作る動画とはちょっと指定される事柄が多いです。句読点使っちゃだめとかはマナーらしいし(おそらくマナー講師は初期の舞城王太郎とかを好んで読んでいるのだろう)、他にも動画内の人の顔をちゃんと見せるとか、字幕に出てくる人の名前を間違ってはいけない、様をつけるつけないなどの制限があるのでちゃんと依頼主とやり取りをしましょう。製作者では判断できないことがたくさんある。あと割と後半は出席連絡に伴う修正が多くなります。俺は週1回~多くて週3回位共有Googleドライブに進捗を投げて感想聞いてました。

 

◯曲の権利をちゃんと取ろう

結婚式を挙げる人には常識ですが、すべての楽曲使用には許諾が必要になります。レコード会社とかJASRACとかにバンバンメールしてお金を払いましょう。この辺の許諾はもちろん依頼主たる新郎新婦がやってくれましたが、とにかくよくわからん許可の流れが発生することもあるらしいので余裕を持ってやるといいです。あと動画内の演出(例えば、曲に笑い声をいれる、曲をどこかで一度止めてもう一度始める)によっては原版使用権とは別の許諾も必要になったりするので、どこまでやるかは制作前に話し合っておくといいと思います。

 

著作権を守ろう

楽曲以外にも既存のキャラクターを扱う場合にも注意が必要です。今回作成した動画では既存のキャラクターが出てきます(絵は他の人に描いてもらった)がそれでも式場では流せないと言われました。急遽差し替えましたが、ここももしかしたら式場に要確認かもです。You Tubeにたくさんあるパロ系はどうしているのかは謎です。

 

◯DVD提出必須

慣例的に結婚式はDVD提出になります。つまりエンコーダーが必要。プレミアでも(encoreは死んだ。もういない)無料ソフトでもとにかく使ってエンコードしてDVD焼きましょう。無料だとDVDflickが有名なのかもしれない。俺は「AnyMp4DVD作成」というソフトを買いました。買ってから気づいたけどサポートページがまともに機能してない(海外製だな~)のでその辺気にする人はちゃんとAdobeエンコードできるやつを1ヶ月分買うとかした方がいい。まぁあと有料ソフトでも普通にミスったりするのでとにかくDVD買うときも数と時間に余裕を持つことが必要です。そもそもなんでDVDやねん。DVD業界と癒着してるのか。

 

エンコードめっちゃミスる

PCのせいかaviutlのせいかエンコードめっちゃミスりました。慎重にやろう。

 

○制作に余裕を持とう

制作期間は長めにあったほうがいい。最初に話を持ち掛けられたのは5月だった。式の予定は10月。制作期間は半年という感じだ。

その時点で使用曲は決まっていたので、とりあえず3本中2本のコンテ撮をやり取りし全体のタイミングと構成を決めていく。その間に依頼主側で写真選定。順次その写真に置き換え完成度を高めていく。また写真選定の時点で「ここは構成を変えたい」「なんならなくていい」みたいな話も出てくるのでそこも対応。構成が決まったらイラストを発注し、2か月後くらいには納品してもらった気がする。なんやかんや2か月くらいやったところで式の延期が決まり、作業も中断する。年明けに式が4月だと決まったので再度作業開始。土台は何となく見えているので一気に仕上げて3月にマスタDVDを提出した。実制作期間は4か月くらいだろうか…。すごくあいまいな覚書だが基本的に社会人は無理なので、制作には半年くらいの猶予があればいいだろう。

 

 

 

◯映像制作が終わらないよ

助けてくれ

 

まぁ注意点は色々ありますが、ハレの場ですし友人として作っておくと色々喜んでもらえる要素を盛り込んだりできるので楽しいです。ちょっと腕に覚えのある人なら式場の業者に頼んだものを超えるクオリティを出すこともできるでしょうし、やってみればいいと思います。

最後に、結婚式の手作り動画あるあるを言います

 

結婚式に流れる手作りの動画、新郎新婦が紙に何か描くシーンありがち

 

社会学はどこから来てどこへ行くのか(1)

たとえばマイノリティであるとかマジョリティであるとかっていう問題は、社会の分割や境界線、特に非対称的で不平等な分割についての問題なんだけど、その分割を、私たちはふたりとも「実在する」と素朴に信じている。(中略)でもこれって、明示的な定義をしたりあるいはましてや、その境界線を恣意的に引き直すひとに対して、批判したり説得したり、ということが意外なほど難しい。

 

だから、ものすごい抽象的な全体のマクロ構造の問題を、すごく具体的なそいつ本人の身体に、ガッと引きずり落としてきて「連帯責任があるんだよ」っていうのは、本来は自分が負わなくていい責任を負わされているだけ。それはそうとしか、そいつは思わないだろうと。

社会学はどこから来てどこへ行くのか」第二章ではアーティストがセックスワーカを差別的に扱ったという問題からアーティストの「マイノリティ憑依」ヘ話が繋がり、マイノリティとマジョリティの境界は何かという話へ展開していく。マジョリティは「意識せざるとも持っている者」とされる(そうなる背景に文化資本とかも語られるが本人の意思でそうなっているわけでないので、「意識せざる」)。理解しなくてもいい、見なくてもいいというのはマジョリティの特権だが、マクロ的な問題、例えば沖縄に米軍の基地があることは本土にも責任がある、を扱う際「マジョリティは本土に住む日本人だ」と言われても本土にいる人間は被害者意識を持つだけだ。という話が行われる。残念ながら、そう思ってしまう。ちょっと前の日記でもそんなことを書いた。本の中では痴漢被害における男性と女性という例も出てくる。そこで「責任はシェアされるか」という話に、一章の最後に出てきた「隣人意識」という言葉がドラマチックに登場する。「シェア出来ないが、その責任への理解、問題への理解を通じて問題を抱えている隣に立つことができるんじゃないか。」

これはとてもロマンティックな考えだと思う。このあとここに矛盾する話に文脈はドライブしていくのだが…恣意的に切り取ると社会学はそういうことができるのでは、と著者である岸は考えている。

まだ途中も途中だがとても好きな場面だったので書いておきます。

日記(スリランカランプライス・図書館)

10時くらいに起床。洗濯物を回す。

それから自転車で昼ごはんを食べに。こういう時目的地はもちろん決めていくが、あまり道中地図を見ないでカンを駆使するのが自己流だ。桜が咲く下でハワイアンビールを売っている出店を見たりしつつ結果的に大きいブックオフに行き当たったので中を散策。別に何も買わないけど、空き家のシルバニアファミリーが並ぶさまは「マネー・ショート」で空き家が並ぶさまを連想させた。あと服とかは中古の値付くらいでも十分新品が買えるのが今の世の中だ。

再度自転車を走らせ、向かうはスリランカ料理屋さんだ。ランプランチを食べる。

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バナナの葉に包まれている

バナナの葉を開くとスパイスたっぷりの香りが広がる。付け合せの辛い汁をかけて混ぜ混ぜして頬張ると、辛味と旨味に飲み込まれるようだ。

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開くとぎゅうぎゅうに具が詰まっている

この形態のご飯は池袋の方にもあると聞いている。いつか行ってみたい。

あとファーウェイのスマホを使っているが写真がどうにも美味しそうに撮れない。うーむ。とりあえずデザートまでいただき退散。店員さんもいい人で良かった。

そのまま図書館へ向かい、「社会学はどこからに来てどこに行くのか」を借りる。岸政彦の本は前にも読んだが面白かった。他にもローティの本を読もうとしたが難しくてわからなかった。あと哲学の棚に『動物や風景の写真の横に一言それっぽい言葉を添えた謎の本』が置いてあって誠実ではないと思った。俺が毛嫌いしているだけという説もある。あと毛嫌いしているのだとf氏の本は全て嫌いだ。Twitterもパクリだったし…。当事者じゃないから怒るな?置いてある書店に入ったから当事者なんだよ(吉住のネタ良かったなぁ)。

あと「わたしたちが光の速さで進めないなら」も借りる。海外SFはいまあつい。

帰宅してせこせこと作業。ずーーーっとやっていた作業が来週末ようやくお披露目できるので肩の荷が降りそう。作業中に大喜利渋谷杯の有料チケットを見るが、明日までで4時間見られるかな~と逡巡。

と、書いていると思うが今自分が連続で書ける文章量は700~1000字未満のようだ。それ以上書こうとすると息切れしてしまう。Twitterよりは長いけどブログと言うには短い気もする。もう少し伸ばしていけるといいが…。

プロセス

 

「正義」とは、競合しうる善構想どうしを調停し、であり、である――これが、ロールズが提唱する「正義」概念です。

〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす│第2回│「正義」の模範運転とジョン・ロールズ│朱喜哲 | [Edit-us]

『公正を乗りこなす』第2回にこんな1節がある。これはあくまで「正義」という言葉に関しての1意見だが、主語を置き換えても通用するような考え方ではないかとも思う。

人々が「何か」を調停し合意に至った状態において実現するもの。そのための手続き。プロセスこそがそのものであるという発想は愛とか、勇気とか大きい概念においても成立する定義ではないか、逆に言えばそういうプロセスとしてしか理想的な概念に対して人はアクセスできないんじゃないか。

相対主義は科学の発展で人々に根付き、インターネットで何かを言うと「うちはうちよそはよそ」や「ソース出せよ」的な意見が必ずといっていいほど噴出する。しかしこの主義は大きい概念と反するものではない。例えば「ソースはないのですが…」みたいな時に「ハイ論破おまえは正義ではなくただのカス」とはならない。「正義が行われなかった」と考えることができる。そもそも「俺は正義だ」というのはおかしい。正義は手続きなので。「ここでは俺が法律だ!」というのも法律は不平等に公正を期すため調停の正義なのでおかしい。

正義感、というのはあくまで感なのであくまで正義ではない。そうなると理想である正義は自分また他人に内面化することはできず、自分や他人、我々という単位が正義という状態に至るというのが目指すべき道程となる。その道程は批判によってなされるのではなく話し合い(継続される会話)によって踏み固められ漸進していくものだ。

そうなると少しだけ時分が小さく、かつ大きくなったような気持ちになる。私は正義にはなれないが、正義を調停するために「公正」であれる。ならなくてはならない。

 

ワクチン3回目打った日記

3回目のワクチンは父親と一緒に受けに行った。予定時刻前に到着するだけで「お前段取り良いな~」と評を受ける。Twitterとかで必要とされている自意識か?「この年齢になると『行けるだろ』って思って準備そこそこになるんだよな」あーそれおじさんですね、とは面と向かって言わなかった。

サクッと摂取は終わり、籠城用の飲み物を買う。この会計の時に食品コーナーのレジに食品管轄ではない商品を持込み店員さんを慌てさせる。段取りが良い自意識はワクチンで死に『行けるだろ』人格が出てきてしまった。

帰り際ラーメンを食べる。食べログで見るとこだわりが強い店主らしかったが本当にこだわりが強かった。なんかずっと喋ってるし。食券置く位置を指定してくるし。後途中から入ってきた常連さんが「製麺機貸してもらいますね」と言っていたが玉置標本じゃあないんだから。肝心のラーメンはぼちぼちでした。

帰宅後動画をいじったり、友人とカルカソンヌをやったりする。カルカソンヌは未だに勝ち方がわからない。勝ったけど。久々にカタンもやりたくなった。ちょうど寝る寸前に悪寒が来たのでこれ幸いと就寝。

翌朝汗びっしょりで起床。なんだか頭も重い。過去二回のファイザーとは違う感じだ。これがモデルナパワー。バファリンを飲んで即二度寝。昼になると多少は楽になったが、外出は無理そうだった。天気も悪いので過去のTVerキングオブコントを見返す。やっぱり優勝時のバイきんぐのウケは異常だ。ここまで一撃必殺なネタは今後存在するのだろうか。冒頭の「覚えてー、ないねー」「覚えてー、ないよー」のイントネーションすらも絶妙。かもめんたるは優勝していないときのネタも全部面白い。おつかれ。でもロッチも好きだ。二人の声が最高。ドコモのCMで声だけやってるだけある。

そしてなんの気なしにKindle Unlimitedに入って「金色のガッシュベル」を読み始める。前に通読したかも覚えてないけど、序盤から絵の迫力がすごい。ベタの使い方と効果線の使い方が独特でちょっと藤田和日郎っぽくもあるけど少女漫画チックなキャラデザもそこに乗っかっている。ナゾナゾ博士が好きだ。

7巻まで読んで眠くなったのでそのまま就寝。晩飯時に起きるがまた汗だく。

なんとなく外に出たくなってコンビニに。夜にコンビニに行く行為はそれ自体がステキだ。大容量ポカリとピノを買って帰る。大容量ポカリを枕元に置きまたすぐ寝る。

起きると憂鬱な月曜日。でも体調は良くなった。仕事をヘロヘロこなしつつ、radikoで「スカート澤部のシティポップレイディオ」を聴く。いいラジオだ。

晩飯を食べつつNHK映像の世紀を見た。映像の世紀なんてなんぼあってもいいですからね。しかし見てると、フェイクニュースがはびこる今21世紀は、いや20世紀の後半は映像が信じられない世紀になるだろう。その時に起こるのは何なのだろう。

最近の読み物

ネットには面白いコンテンツが色々あるけどそれが連載だとTwitterで一回言及して終了してしまうことが多々ある。なのでメモっておく。

〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす│第1回│正しいことばの使い方│朱喜哲 | [Edit-us] https://www.editus.jp/archives/1207

この「乗りこなす」という表現は好きだ。文中ではこの乗りこなす、を交通ルールで例えているがまさにそれで、インターネットには言葉のハンドルを切りそこねている、もしくは言葉に言わされているような文がたくさんある。日本語話者が全員日本語を乗りこなしているとは到底言えないので、せめて免許ら取ろう、という話だ。以前まとめて読んだが、また読んでいる。

 

ぼけと利他

https://www.mishimaga.com/books/boketorita/002547.html

ぼけというのはまだ自分には程遠い感覚だが、そこの社会的な問題は嫌というほど耳にしている。そこに存在するケアという問題から始まるこの往復書簡は毎回話題が新鮮で面白い。ケアする/されるという構造は搾取と安易に結び付けられるがそうではなく、それは例えばキャバ嬢とおじさんなんて話よりもっと範囲の広い言葉なのだというのがわかる。

 

 

 

 

なんにも買わなかった日記

昨夜提出物を出したので晴れやかな気持ちで起床。

洗濯物を干してからmoonstarのポップアップストアに向かう。810sのシリーズがあるということで気になっていた。外はポカポカ。昼は町中華でチャーハンを食べる。五目を頼んだけど普通のチャーハンが来た。いいけど。あと五目って何が五目なのか。

ポップアップストアはそこそこに人がいた。店員さんがにこやかに対応してくれる。でも履くとちょっと重かった。ニューバランス996と比較しているからだろうか。とりあえず保留。サンダルもおしゃれだった。

そこから神田古本市に行く。行くたびに人の多さにビビる。そこでも露天を冷やかしただけで何も買わず。ちょっとカレーが食べたかったけど我慢した。

帰宅後は晩飯を作る予定。何作ろうかな。