山下達郎のライブを見たというのは神の目撃と等しいので代入すると、静岡で神を体験してきた。
そも、山下達郎を聴き始めたきっかけはフォローしている発言で見かけて気になったこと、そこで見つけたmixが素晴らしかったことが契機だ(mixcloudにいくつか上がっている)。そこから一年半ほど聴き専で、今年ライブがあることを知り遠征の範囲ギリギリの会場を申し込み当選しベスト盤を聞き込んで今回ライブに臨んだ。当然複数申し込んで落ちてのこれなので、倍率は察するに余りある。年齢層が高めなせいか(失礼な話!と言いつつ多分会場では若年ベスト10には入っていた気がする)SNSに情報があまりなく、ブログなどからおぼろげにライブの全容(立ちパートがある、Let's Dance Babyでクラッカーを使う、入りと最後は固定曲……など)を掴んでいったという按配だ(物販情報も二日前に知った)。
〈以下、セットリスト等のネタバレを含みます〉
会場に着くと長蛇の列で、物販はそれを超える列だった。参加者は静かに沸き立っており、今まで触れたことのない空気が会場を覆っている。サイン色紙欲しさに(ギリだった)CDとタオルを買い、席に着くとステージ上には波止場を意識したようなセットが組まれておりドゥー=ワップが流れていた。
頰をつねってこれが現実だということを確かめつつ開演を待っていると、アナウンスと共に会場が暗くなる。拍手と歓声が飛ぶ。
ライブの始まり、バンドメンバーと共にセットの下手から倉庫の扉を開けて登場した山下達郎は後ろから光に照らされ、痩躯のシルエットを見せるのみだった。そしてステージ中央に立ち、ギターを持ち「SPARKLE」のイントロをかき鳴らす。
少しテンポの早いキレの良いサウンドが会場を貫いた瞬間、涙が目尻に浮かんだ。そしてその涙は「新・東京ラプソディ」に続く間、止まらなかった。泣くタイミングが早い。
それほどにライブのパフォーマンスは圧倒的で、それはライブ中間断なく披露された。全ての音が、動きが、奇跡的な調和を見せていた。ステージで交わされるアイコンタクト、ソロパートのタイミング、全てがエンターテイメントに昇華されていた。山下達郎の演奏、ソロ、弾き語り、アカペラあらゆる手数を使って成立させられたライブだった。
毎週末、朝山下達郎を聴きながら洗濯物を干す習慣があった身としては、生活に根付いた音楽を改めて生で浴びる至福のひと時(三時間)だった。ライブの良さここに極まれりという奴だ。
以下要点
・シュガーベイブメドレーは神
MCで、好きなことをやるから初心者はとっつきづらいという話をしていたが基本ベスト盤を聴いてれば問題なくついていけるセトリで特にWINDY LADY→Downtownの繋ぎは本当に良かった。ベースが跳ねに跳ねていた。一番予想外だったかも知れない。
・山下達郎の脚が長い
もう全てがカッコよく見える。ギターを弾く背中や、暗転時のシャツのハイライト、曲の最後ギターを降ろすスピード……特にプリティーウーマンのカバーでステージ脇に来た時は近すぎて思わず目をそらしてしまった程だった。笑顔が眩しい……推せる……。ジャニーズのコンサートで双眼鏡を使うと聴いたことがあるけれどこのライブでもかなりの人が持っていた。65歳を双眼鏡で見るのか。見るんだよ!
MCも皮肉を混ぜた笑いや戯けた笑い、演奏に絡めた小ネタなど老成されたものだった。歌詞を探すくだり好きすぎる。
・エンターテイメントが過ぎる
盛り上がる曲で曲の力を超えた盛り上がりを見せる腕前たるや。ライブ音源で聴いた「拍手手拍子👏👏」、鳴り響くクラッカー、コーラス隊も含めたバンド全体のうねり(踊るのかわいいね)……。さっきこのこと書かなかったか?まあいいけど。竹内まりやのライブで縦横無尽に演奏する山下達郎見たすぎる。
・VJがいい
クリスマスイブの雪のスローモーション、アトムの子の宇宙的な映像などシンプル故に分かりやすく楽曲を支える良い映像だった。っていうかセットがいい。スタンディングの瞬間ビッカビカになるの笑う
ライブ中、もう一つ泣いてしまった場面があった。「希望という名の光」の途中MCで台風、地震の被災者に向けた哀悼を述べた上での山下達郎のギターソロだ。
背中を丸め抱え込むようにギターをかき鳴らす姿はピンスポットに照らされている。その演奏は自称元気高齢者とは思えないエネルギッシュさだ。その姿から放出されるエネルギーからは圧倒的な正しさを感じさせられた。
この世でたったひとつの 命を削りながら 歩き続けるあなたは 自由という名の風
『希望という名の光』
御年65になり、命を削りながら演奏をしている山下達郎はMCで何度も、シュガーベイブ時代からの山あり谷ありの末に新曲を演奏できる素晴らしさ、音楽の先祖返りを説いていた。
運命に負けないで たった一度だけの人生を 何度でも起き上がって 立ち向かえる 力を送ろう
『希望という名の光』
何度でも起き上がってミュージシャンとして歩んできた山下達郎が放つ命を削って産み出されるエネルギー、それこそが『希望という名の光』なのではないかと思わせるものが、そこにあった。
そしてステージの最後語られたのは、音楽は具体的な救いを与えることはできない。しかし「救いを求める人々の側に寄り添ったり手助けをすることはできる」という事だった。
その、側に寄り添う音楽こそ希望であり、山下達郎そのものではないかと感じたのだ。アトムの子でも語られるニヒリズムの裏にある巨大な祝福が、確実に存在するのだ。
公演が終了して暫くの間、足早に立ち去る人たち(終電の問題だろうけど)を尻目に席に座って多幸感を噛み締めていた。ステージにまだライブの残像が焼き付いているように感じる。ライブの残響を振り払って会場を後にし、歓楽街を抜けて宿へと戻った。そして荷物を下ろすと共に、会場で鳴らしたクラッカーの残骸を捨てようとした時、火薬の匂いが鼻をついた。あの空間は幻ではなかったのだと思った。
と、いうライブの感想でした。いや、もう語り足りないのだ。でも言葉が追いつかないのだ。なので、こればっかりは、会場に足を運んでくれ。当落はとりあえず置いておいて。行くのだ。行け!!!!
そんな感じで。実はライブは旅行の一日目。二日目は「夏だ!海だ!タツローだ!」の対義語である「冬だ!山だ!ゆるキャンだ!」で知られるゆるキャンの聖地を巡る旅です。
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