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天冥の標全部読んだ

天冥の標全部読んだ。全10巻17冊。長大な読書体験だった。読了したもので言えば終わりのクロニクルに匹敵するものだった。読み終わって思うのは、これほどの物語がこの世に存在していてよかったなぁということである。

 

正直、物語を俯瞰してテーマがどうだとかを言えた話ではない。頭が悪いので、この差し渡し(この表現をこのシリーズで知った)1万年にも及ぶ時系列を縦横無尽に行き来するストーリーライン、その全てに息づくキャラクター、それらの思惑を整理して語ることはできない。それこそトリビュータリーが出会ったときのように、別の生き物の語彙を借りるなどしないと到底不可能なことだ。かと言ってこの物語の鮮やかなトリックや伏線を詳らかにしてネタバレを犠牲にしてでも未見の人にアピールしようというのも違うと思う。そこでうける衝撃はその鮮やかさだけでなくストーリーに乗った思いを汲んでこそだと思うからだ。つまり、天冥の標について語り得ることはないのだ。ないのだ、で終えられたらオタクは苦労しない。自分でも理解し得ない感情をそのまま吐き出すのでなく自身で醸造して、一滴を絞り出し他人に押し付けるのがオタクの常道ではないか?

 

天冥の標は多様性の物語だ。LとかGとかBとかDとかにとどまらないすべての宇宙に在るそれらについての物語だ。そしてそれを語る発端は「対話」にあり(Ⅴ巻)、火口は「分断」にある(Ⅱ巻)。物語中、人類は宇宙空間へと拡散し、増え、栄え、多様性を獲得した。それを多様性というのは宇宙が広いから取れる、取らざるを得ない選択肢が多かったことと関わっている(『酸素いらず』の多様性は国家の端緒に関わっている(Ⅲ巻))しかしその中でも細かな分断は行われ(男女のセックスの違いとか(Ⅹ巻))争いの火種になっている。特に巨大な分断は『冥王班』というウイルスで(Ⅱ巻)とてもタイムリーに2020年起きている分断でもある。これはたまたまだが、この現実が天冥の標というフィクションを下支えする想像力を養っているというのはとても皮肉だ。

 

そうしてズタズタに引き裂かれた大きな勢力、小さな個人を繋いでいく営みが物語のテーマだ(の、少なくとも1つだ)。これはネタバレには当たらない。行った物語が帰ってくるように、引き裂かれた物語はつなぎ合わされる。しかしその引き裂かれ方、つなぎ合わせ方はSFのそれである。病原菌による差別が宇宙規模になったときどのように作用するのか。セックスの多様性を持つヒト達が助け合うためには何が必要なのか。男女の概念が異なる諸属とどのように共生するのか。このイメージを描くSFの筆致は全巻通して衰えない。この多様性という必然の出来事を強烈に描くため、SFという長大な時間軸を操るリーダビリティがある方式が選択され得たのではというようにSF性はテーマと密接につながっている。目の前にないものを想像し喚起するこの方式は、物語のラストと循環しているように今思える。深読みのしすぎだろうか?『作者の人そんなところまで考えていないと思うよ』?チヨちゃん、それは寿ぐべきだ。『この物語はそう思えるほど考えられる物語だからだ』

 

とにかく、天冥の標を読んで欲しい。心の底からおすすめできる。今なら全巻セットでKindleが1万円しないぞ。

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