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エヴァンゲリオン見ました

エヴァンゲリオンを見た。ので、感想というかそういうものをバーッと書こうと思う。この時点で感想を言うならそういうことを書きたくなった、というのが感想として機能すると思う。

留意点としては基本的に新劇のレベルでしか書きません。旧劇付近はかなり曖昧なので…。

 

※この辺からネタバレが含まれます

 

まず、ストーリーの話からするととても良かった。意志とそのアウトプットとしての演出、作劇、画面がとても良くマッチしていたと思った。

おそらくこれほどまでにエヴァというコンテンツが語られている理由は旧劇原作のあまりにもな終わり方というのが大きいと思う(語りたく/受容したくなるという意味で)。その点で言ってしまえば新劇もそこは踏襲していて、それもかなり細かく踏襲している。でも、破綻はしていない。演出をしきっている。そのメタ構造をもコントロール下に置いている。そこがメチャクチャにすごいことで「良かったな~」となる要素だと思う。それを演出力が上がったからと言ってしまえばそれはそうなんだけど、なんというか観客側にもその担い手としての役割があった気がする。

エヴァンゲリオンは「ATフィールド」という仕掛けを駆使してヴィジュアル的に人との関わりを描いている。それはエヴァンゲリオン世界の根幹をなす考え方でなんかそれが人類補完計画的なあれにつながったりもしている(この辺は曖昧)。

そしてエヴァンゲリオンは旧劇の終わり方的に考察、メタ読み的な触れられ方をそれはもうハチャメチャにされていて正直作品後に全くメタ的な視点でない事実のみの考察なんてものはもう見られないような形になっている。エヴァンゲリオンはメタ視点とセットであり、それがエヴァンゲリオンと鑑賞者の関わり合いの大きなウェイトを占めている。メタは作品と作品外の知識を結びつける、いわば「相補的」な行為である。

相補的というワードは新劇でも出てきて、カオルくんがシンジに対して「君は相補的だな」なんてことを言っていた、気がする。でもそれが妙に耳に残っていてこの相補的というワードはやっぱり新劇の一つキーワードではないかと感じた。

新劇もさっき言ったように究極的には楽屋落ちでメタ落ちなのだけれど、それはエヴァンゲリオンと鑑賞者の間では正解の関係性だったんだろうな、みたいなことを鑑賞後に思った。旧劇を超えるという意志が新劇にはあっはずだしそれで同じ(ような)オチを行うのはかなりやばいことだと思うのだけど、それをしっかりと関係性という枠に収めきってやりきっているのがすごい。それは相補性という製作者と鑑賞者の共犯関係を信じられたからこそできたのでは…といや、なんというか多分これを語り始めると全体的に意志というか心意気というか、なんとかインパクトが起こったときのデカ綾波とか絶対にあんな金かけて全国に配給する画面ではないのでとにかくすごい。

 

作画の話。

エヴァンゲリオンくらい絵がうまいともう絵とかそういう次元ではないわけだけど、後半の目の辺りにブラシを掛ける効果をアニメでやるのすごいな-になったし海岸に寝転がるアスカの特殊ブラシ効果がエロすぎるし横顔の涙袋に影を入れる変態作画がすごいし幼少アスカはなんか鶴巻さんだな~という雰囲気だった。

あと爆発が全部すごい。

 

鈴原サクラの話。

まぁ怪文書とか感情を載せやすい感じなのはめっちゃ分かるがあそこでシンジの禊みたいなのを終わらせるキャラとして最高の演出だったしそういう役割がとても優秀だったので良かったです。

 

なんか他にあったら書きます