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映画大好きポンポさん大好きさん

ポンポさんを見たか?見ていないのなら見たほうがいい。全国で30館くらいしかやっていないらしいが、これから2倍位に増えるようだ。このペースなら1年後にはポンポさんの上映館は日本国内の神社仏閣の数に比肩する数になっているだろう。街中でふとした時に見られるかもしれない。でも、今はそうではない。能動的に動き、見に行くべき時期だ。

 

(以下の文章には映画大好きポンポさん原作及び映画版のネタバレがまだ含まれません)

 

映画大好きポンポさんとは、WEB漫画を原作とするシリーズである。なんと原作が無料で読めちまうんだ!

www.pixiv.net

実際の主人公は映画大好きジーンくんなわけだが…ともかくも映画という創作にとりつかれた人間の業とか、その思いの強さを描いたこの漫画はオタクに刺さりまくり、かのFRENZのプレゼントとして複数贈呈され、続刊が出て、スピンオフが出て、この度映画化された。

紙書籍版を持っている身としては、そして趣味で映像的なものに足を突っ込んでいる身としては見逃せない作品であり、満を持して見てきたというわけである。

 

 

(以下の文章には映画大好きポンポさん原作及び映画版のネタバレが含まれます)

 

感想から言うと…良かった、し、泣いた。

 

◯映画制作映画をアニメとしてやってしまうこと

この作品のキモは映画作成映画であるということでそれは映像研に手を出すながアニメ制作アニメであることに近い(SHIROBAKOはアニメ制作アニメというよりお仕事(アニメ制作)アニメなので毛色は少し違うと思う)。その『映画である』『映画として見られる』という点にかなり自覚的で、何なら挑発されているとも思った。作中作のレイアウトを変更するところから始まり、OPシークエンス、いじられた時系列、洒落たトリッキーなトランジション(カットのつなぎ目を俺はこう呼ぶ)、ギャルの尻…。原作オタクはここでグッと来てしまう。過剰なまでの『映画さ』、オカズ山盛り定食のようなサービスカットでお腹はいっぱいだ。加点式のオタク評価は既に0を省略する値に到達している。

 

◯テーマ性の変化

ポンポさん映画版が原作から大きく変化した部分は、後半の編集をするというシーンが大きくフューチャーされているところだ(企画の初期段階でもうここは決定したらしい)。後半、ジーン監督が行う編集の切るという行為、作中作「マイスター」の指揮者が抱える悩みと過去、ジーン監督自身の好きなことに打ち込む事による周囲との断絶がオーバーラップして描かれる。

最終的に「映画は誰のためのもの?」という問いを契機に、マイスターとジーン君の人生が重なり、「自分は(ややこしいが、ジーン君も指揮者も自分の創作物に全てを捧げているため映画=ジーン、指揮者=音楽、のような図式が語られる)何なのか」という問いに決着がついたりする。まぁここは本当に新テーマだ。原作のジーン君はマジで狂っていて、そこに理由の片鱗はあっても全ては明かされない。そして理由もなく映画に狂っていると言うことをある意味良しとするのが原作の雰囲気で(映画内にも夢と狂気の世界という言葉がある(というか、これ夢と狂気の王国ネタ?))その原作の雰囲気を丁寧にトレースしている映画前半と新テーマが描かれる後半でテンションは少し違う感じがある。

とはいえテーマとしては骨太だしここからの後半の話はかなり良くまとまっている。マイスターという作中作を魅力的にするという意味でもすごく良かったと思う。作中作がちゃんと描かれるのは嬉しいよね。あとこの編集のシーンで編集マンが語っている監督が凹んだ話ウケたのでパンフさんも買いましょうね。

 

◯新キャラ

アランくんが出てくる。どんなやつかって?好きな映画が↓こんなやつです

解釈一致過ぎる。

アランくんもテーマを広げるという意味ではとても良い働きをしてくれている。いいやつだし。

 

◯挿入歌

俺は許そう。だがジーン・フィニが許すかな!!

 

 ◯好きなシーンいろいろ

・ポンポさんが変なレイアウトで入ってくるとこ全部

・マイスターの脚本見たジーンくん、驚き方が女の子過ぎる

・ナタリーがベッドでもぞもぞするとこエロい

・ナタリーがポンポさんに見初められて、驚きから喜びまでを走りながら表現するシーン、マジでいい

・マーティンさんが役に入り込むシーン、分かっていても良い

・原作のキメのシーン、マジでいい

・編集シーン、もっとキーボードショートカットを俺も使わなきゃな

・授賞式でナタリーが泣いてるのが好きです

 

◯ポンポさんは我々に何をさせてくれるのか

端的に言えばクリエイター賛歌であることは間違いない。映画版ではクリエイターだけでなくクリエイターの周り、また作品を見る人たちにもその賛歌の一端を授けてくれたけども、やはりポンポさんはクリエイター賛歌だ。フォーカスが大事だ。『幸福は創造の敵』だ。

(というかクリエイター賛歌にするためにポンポさんが存在しているということもある。映画パンフではポンポさんは「プロデューサーという概念」、つまりクリエイターのクリエイト以外を一手に引き受けている。ポンポさんがクリエイト以外の雑事を処理してくれているからクリエイターが作中では光り輝く)

でも、俺は必ずしも『幸福は創造の敵』とは思わない。幸せになれればそれでいいじゃんとは思っている。その手段が創造じゃなくたっていい。でもポンポさんワールドはもう行ききった人間しかいないので、そういう場合はもう『幸福は創造の敵』だ。

最初の方で『趣味で映像的なものに足を突っ込んでいる』と書いたがそういう意味でこの映画は行ききっていて、深淵だ。とてもここまではいけないと思わされる。

でも趣味をやっているときスケールは違えど同様の悩みを抱えることがある。双肩には何も載っていないのに完全にやられてしまうことがある。そんな時に思い出せるのがこの映画だ。この映画はそんなときもう一度机に向き合わせてくれる。

願わくば創造が幸福であるように。