続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

物語における地獄

ゴールデンカムイの展開が地獄」というブログを見た。中身は省略するが、この「地獄」という言葉、及びその使われ方には個人的に興味がある。ブログの内容を圧縮すると「そこまで地獄か?」というエッセンスになるだろう。そしてその回答は地獄は雰囲気ワードであり(よくオタクが一万年寝過ごしているのと同じである)ブログ内における地獄と煉獄の区別とかはどうでも良いのだろうと思っている。

 

地獄性について

ゴールデンカムイの地獄性は、まず人が死ぬ事である。話の中では主要な、単行本の表紙を飾るようなキャラが死んだりする(もちろん名もなきモブはもっと死ぬが、モブが死ぬ事で作品を地獄と呼ぶ人は少ないだろう。モブ厳という言葉はあるが)。いきなり話が逸れるが、女性向けジャンルにおいて死ネタというのは一定の広がりがある…と思っている(ここら辺は現実と乖離している可能性があるが、『死ネタ注意』という注意書きを見ることがぼちぼちあり、つまりそういうことだと思って文を続ける)。死ネタは重要人物の死によって展開する話全体を指すと思われるが、話が展開するなら死んでもいいじゃんと思う。死んで話が展開しないというのはマジで最悪なのでそれは注意だが…、話が展開するのであれば死は題材になるしそれでしか描けない話というのはあるだろう。

つまり「意味がない死」というのは地獄だが、「意味がある死」はありだと思うのだ。ゴールデンカムイにおける死はほぼほぼ意味がある。登場人物の抱えている過去の清算だったり、望みに向かうための行動の結果として死という展開を選ばれているだけなのだ。凄惨な清算(激ウマギャグ)が行われてその過程が地獄のように見えたとしても、キャラクタに必要であればそれはやっぱり必要なのだ。

翻って、これを上手くやれるのはフィクションだからかもしれない。現実における死の物語化はあまりに死の現象としての威力が強すぎて忘れられてしまうし、他に面倒くさいことが色々あるからだ。死ネタ、地獄という形容が成されるのはフィクションの強みでもある…かもしれない。

まぁゴールデンカムイ面白いから読んでくれますか?今なら無料だし…