続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

他人を推し量る努力について

運動する時更衣室にある体組成計にうっかり乗った。

体組成計はすごい。ちょっと乗っただけで「体重」「身長」「BMI」「筋肉量」「骨密度的なの」「身体年齢」などを次から次へと表示してくれる。体重以外大嘘かもしれない。吐き出される数字を見ながら思ったのは「俺のことを一番理解してくれているのは体組成計なんじゃないか?」ということだった。

ここ数年で気づいたけど人を理解することがあまり得意ではない。学生時代に先輩から「人に興味なさそう」と言われたことを覚えている。興味が無いというか、着眼点が少ないのだと思う。四年くらい前にメガネを買ったときに気づいたけど、人には顔の形があるらしい。それまでは丸顔とかMiiでしか見たことなかった。しかし気づくとたしかに自分の顔は縦に長く(それまで顎が長いと言われていたのもぼんやりとしか受け取ってなかった)、友人には丸顔の人がいる。また散髪時に眉毛の形を「普通にしますか、キリッとしますか?」と言われて眉毛の形もたくさんあることに気づいた(犬山あおいを見たから気づいたのかもしれない)。このように自分は人をシルエットレベルでしか見ていなかった。

また、上記のことを自覚してから俺はZOZOスーツを買って身体を測定した。まずは己を理解するところからということだ。実際ZOZOスーツのサービスは終わってしまったが、一時期俺はUNIQLOでZOZOスーツの計測結果を見て服を買っていた。最近また裾上げ時に股下の長さを知ったのでネットでズボンが買えると意気込んでいる。65センチです。

ここまで外見的な理解の話をしてきたが、内面的な理解も負けず劣らず苦手だ。発言の裏を読むみたいな努力をしていないので他人の発言は額面通り受け取ってしまう。このことでトラブルに巻き込まれたことはあまりないが、おそらく自分の周りでは色々起こっている気がする。その色々の遠因が自分にある気もしている。これは本当に申し訳ない。

とつらつら言い訳しているが結局他人の外見も中身も推し量るのがしんどいのだ。そちら方面への処理ができない、わけでもないが負荷が重い。時々創作でこの処理がたくさんなされていると「すっげ~」と思っている。凝を怠って生きている。これはいいことではない。

例えばこれは「好みのタイプなに?」という詰問へうまく対応できない一因になっている。なぜなら今まで接してきた人を推し量っていないからだ。計測されていないものに「好み」という傾向は存在しない。俺はこれを聞かれるとへらへらしつつ脳内ではそれを聞いてきた人の評価を下げている。また余談だが、この質問は男性同士で使われた場合異性の胸派か尻派か、という二択に条件進化する。俺はこれを聞かれるとへらへらしつつ脳内ではそれを聞いてきた人の評価を2ランク下げている。

またこのしんどさはもう一つ問題を生む。それは「自分がその推し量りをされている」と思っていないことだ。自分の肉体に意味を見出していないので、気づかずに人を怖がらせたりムカつかせたりしている可能性を察知できない。もしくは察知しても0か100かになってしまい自分が辛くなるということがある。自分に付与された「社会人の男性」とか「オタクっぽい顔の人」みたいなレッテルを制御しきれていない。こう思うと原宿のゴスロリ(古いか)はすごい。彼女たちは自分に付与されているレッテルを制御しきっている。理解してそのレッテルをまとっているのだ。同じ理由で俺は、髪色が派手な人とかタトゥー入ってる人とか、自分のレッテルを御しきっている人を尊敬している。

こういうことを言って思っているが、時々こういう推し量りが得意な人がいる空間に入る時がある。そうすると俺は何もわかっていないが、周囲で推し量りが行われている雰囲気が横行していることだけ理解する。カズレーザーの「ここWi-Fi飛んでんなぁ」みたいな感じだ。肩身が狭いったらありゃしない。しかしこの空間に身をおくことは結構良いとされている。人は評価を獲得する必要があり、そのためにはやはり推し量られる空間にいる必要があるからだ。今は空間ではなくアプリが主流だろうが同じことだ。

なんかそういう時みんな体組成計みたいなのに乗って出てきた数値で話し合えないだろうか。それはそれでディストピアだけどそれが信じられるならいいのかもしれない。そういうことを体組成計を見て思った。ちなみに身体年齢は18歳だった。やっぱり信じられないかもしれない。