続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

スポーツチャンバラとしてのインターネット

 

インターネットを生身でやってはいけないというのは世代間に共通するライフハックだと思っている。これは『インターネットは本当の人間性をさらけ出せるユートピアだ』というゼロ年代中期の理想論とは少しずれるものだけど、多分この理想論は狭い理想論にすぎない。例えばデスゲームの主催が『このゲームは人間の本性を暴く…』とか言ったりするけどそれは主催が考える『人間の本性』がデスゲーム的なだけであって、逆に至れり尽くせりな空間に閉じ込めることでも人間の本性は暴けるはずだ。見たい本性によってそのアプローチが変わる、ということが肝心でつまり『インターネットは本当の人間性をさらけ出せるユートピアだ』と思う人は人間性をインターネット的だと思い込んでいるだけなのだ。匿名でかつテキストベースな空間で見られる人間性なんてちっぽけなものだけど、それがすげーとなるタイミングが確実にあったという話。

だがもうそういう時代ではなくインターネットは現実発信の資本主義(お金どうこうではなくシステムとしての資本主義である)に飲まれている。しかしこのインターネットユートピア論は形を変えて生き残っていて、それは現実との対比によるユートピアのポジションだ。現実では言えないことが言えるというインターネットの利点(らしきもの)はまだ残っている。

では、「現実で言えないこと」は本性つまり真実だろうか?

そんなことは残念ながらない。インターネットで発せられる「現実で言えないこと」は「インターネットでしか言えないこと」でありそれは全然事実ではない。主としてそれはテキストベースの足の引っ張り合いだ。そんなことを生身でやってはいけない。インターネットではきちんと匿名(程度の差こそあれ)という防具を着て、へなへなの剣でお互いをしばきあうべきだ。インターネットはスポーツチャンバラだ。

でも最近スポーツチャンバラに木刀や真剣を持ち込んだりはたまたマシンガンを乱射するなどの狼藉が横行している。インターネットで本気でバトるのはやめろ。小競り合い程度にとどめておけ。ユーモアの土俵で勝負をしろ。反応と発信を分けろ。出来る範囲で構わないから。あまつさえ銃器を乱射する輩が後を絶たない。しかも全裸で。

インターネット関白宣言になってしまったので終わりです。