続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

思想未満(内面がない・わかったようなこと)

うる星やつらのアニメは内面がない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1962256

内面、というのは社会にコミットする仕組みがないということかもしれない。色々な作品はその内面を暴かれ腑分けされ批評されることで時代性を獲得して(もしくはもともとあった時代性を晒されて)評価される。というか、そういう見方がSNSで加速している。過去の文脈バトル(この作品の系譜はどうこう)は時代性を加味した批評バトルに変化している一面がある。
そしてその時代性がある批評が行えないということが内面がないという言葉で表されているんじゃないか。逆に言えば昔のアニメを今によみがえらせるという企画としてはこれは成功なんだろう。
で、そういう意味で今の批評というのはなんだかしっくりこないと思う。例えばロードオブザリングでエルフが黒人だとか、ゴールデンカムイアイヌ役にアイヌの俳優が使われないとか、そういう話もあるけれどそういうものを織り込んだ批評ってものによっては名画にスープを投げるような行いに近いんじゃないの?と思う。名画にスープを投げるのは自分の提言を目立たせるために提言と関係ない価値を棄損する手法が問題視されているのだと思うけど、批評が自分の問題意識の提言になっている例があると思うのだ。その提言を目立たせるために他のコンテンツの価値を貶めるような批評めいたことをしてしまう。手段と目的を逆転させた振る舞いがSNSで見られる。これを可能にさせているのはその提言の大きさ(例えば地球を守ろうみたいな)でその範囲があいまいなほどその批評が影響できる範囲は広くなる。
(ここまで書いておいてなんだけど、冒頭のトゥギャッターが今言う悪い批評という意味ではない。そしてこういう但し書きはマジで意味がないのでやめたほうがいい)

 

○わかったような

分かったようなことを言うなという時がある。
分かったようなことを言われるのは何故だろう?コミュニケーションが相互理解を目的とするなら「分かる」は最善だ。人は常に「分かり」たい。
では「ような」がダメだろうか?それはそうかも。「ような」なんだからそれは完全な「分かった」ではないのだ。「分かったこと言うな」という言葉はない。分かったは4文字なので短い同義語、了解に置き換えると自分でない人間が勝手に了解している状況が嫌なんだろう。俺の許しもなく勝手に俺を了解するんじゃないよという構図。分かる、理解するというのは一方的な行動だ。しかも「ような」と来ている。「その理解、ちょっと俺のニュアンスと違うんだけどそれでお前はなんだか勝手に納得してるっぽいな!?違うよ!!」という叫びが「分かったようなこと言うな」という言葉になっている。え?分かったようなこと言うなって?