続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

おなかがよわいので整腸剤を飲む

自分はおなかが弱い。物心ついた時からおなかは弱かったと思う。インターネットではうんちを漏らす文字がウケる傾向にあるが、自分だってその辺のエピソードなら片手分くらいは持っている。別に人に話したことはないが…。で、おなかである。おなかが弱いというのは人生の損失であると自分は思っている。おなかの弱さは衣食住の食の部分と密接にかかわるので毎日ある程度のリスクを冒していると考えられる。具体的に言えば朝コーヒーを飲むと確実におなかが痛くなる。しかしコーヒーは眠気覚ましに必要なのでこれはトレードオフだ。昼にラーメンを食べるとこれまたおなかが痛くなる。なのでこれは禁じている。時々すべてを破壊したいときに家系ラーメンを食べたりもするがこれはその後5時間くらい腹痛のリスクを増大させる。その覚悟がなければラーメンは食べられない。このように三食全てにおいておなかが弱い人間はリスク管理を行っている。このように常に頭脳をフル回転させている性質故、歴史上の名だたるおなかが弱い人間の脳はは死後研究の対象となっており、その結果おなかが弱い人間は論理回路をつかさどる部分が通常より肥大している傾向があることがわかっている。
またおなかが弱い人間には地政学リスクも存在する(もちろんこれは誤用です)。トイレだ。おなかが弱い人間にとってトイレはセーブポイントであり常に新しい環境に身を置かれたときにトイレのことを考える。例えば電車通学の結果自分は沿線の駅に設置されているトイレの数と乗降者数を掛け合わせることで最適な途中下車ルートを計算できる。また新宿や秋葉原の1階部分にトイレが少ないことも知っているしどうしてもトイレに困ったときにはパチンコ屋や大学のトイレを借りるのが良いということも知っている(大学は最近部外者に厳しいが、なににせよ学校法人はトイレが豊富に存在する)。おなかが弱い人間はパチンコ屋のトイレのことを「台」と呼んで情報交換をしているとも言われる。
と、人生のあらゆる局面において私はおなかが弱いことを頭に入れて行動してきた。友人との旅行、長距離ドライブ、受験、コミケ、初デート…そのすべての場面には同じ考えが存在する。『今おなかが痛くなったらどうしよう?』そしておなかが痛くなった暁にはトイレの中で上体をかがめ膝に手をついて神に祈る『静まり給え』と。

そんな話をしていると、『整腸剤を飲めばいいのでは?』と言われた。整腸剤。耳慣れない言葉だ。聞くとそれは言葉通り腸を整える薬らしい。それって、もしかしてだけどおなかの弱さに効くやつなんじゃないか。
ここである疑問を解消しておく。『お前、おなかの痛みに効く薬がないとでも思っていたのか?』これへの回答は否だ。国民的薬であるラッパのマークの正露丸やストッパは自分は服用したことがある。海外旅行にだって持って行った。しかしそれらは今痛いこのおなかを黙らせるもので対処療法にすぎない。反して整腸剤というのは痛くなる前におなかを整えるという事前の対処。予防薬なのだ。そして先ほどの問いを予防薬に限れば、その答えは是だ。俺は今まで整腸剤を飲もうなんて考えたこともなかった。
と言ったところなじられた。200ナジラレ(なじりの単位。「メイのバカ!もう知らない!」を100ナジラレとする)はなじられた。言われてみればそれはそうだ。今までおなかが痛いよぴえん、なんて言っていた人が整腸剤も飲んでないのだ。助かる気があるのか。健康な人が仕事もしないで金がないって言っているようなものだ。
しかしあえて反論させてもらえば……冒頭の通り自分は物心ついた時からおなかが痛かった。この弱いおなかはもう自分の一部だった。親の代から使っている年代物の車のエンジンスタートが遅くても「はは、いい子にしてくれよ」って言いながら結局使うような、弱いおなかはそういう憎めないやつでもあった。これは運命だと思っていた。モルディブのことわざに『片翼の天使は青空を夢見ることはない』という言葉がある。俺は片翼の天使だ。
しかし整腸剤というのは福音であったので、さっそくブラックフライデーを利用して注文してみた。届いたものがこれだ。

存在感のある瓶

いっぱい入っているやつを買ったら、1回の服用量が10錠のやつだった。そんなに飲むとおなかいっぱいになってしまうので、とりあえず朝夜5錠から初めてみる。これでお腹の弱さが克服されたらとても嬉しい。克服の暁には手始めに毒蝮酒とさそりとざざむしの炒め物を食べようと思う。