続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

意味がないのに不必要に攻撃的で共感を生みやすい文章をやめろ

 

ちょっと前にこんなツイートをした。具体的なツイートは挙げないけれど「ぼっちざろっくは引きこもりを可愛く描いてそれにオタクが感情移入してるだけ」みたいなやつ。探せば出てくる。そして最近同じような流れをはてブで確認した。具体的に言えば僕ヤバについてだ。「僕ヤバって何が面白いの?」という質問に答える形で「僕ヤバはタッパのでかい女といちゃつきたいヲタクの妄想が云々」みたいな。

急に話はそれるけど、前提として言うと…『これって何が面白いの?』という問いはあまりまともに受けない方がいい。こんなこと聞いてくる質問者は対象物を面白くないと思っているし、なんなら面白がろうともしていない…と。つまり懇切丁寧に面白さを説明したとて無駄なのだ。これは『男女の間に友情って成立すると思う?』って質問位無駄だ。これも質問者は成立すると思っていないしさせる気もないからだ。

で、ぼざろの話にせよ僕ヤバの話にせよ、やっぱりこういうコンテンツに対する考察もどきというか「作品を今の社会環境と結び付けてなんか言う」という言葉は後を絶たない。俺はそれが嫌いだ。なぜならそれらは(Twitterレベルでは)意味がないように思えるから。そして意味がないのに不必要に攻撃的で共感を生みやすい。SNSで拡散されることに特化した空っぽの文章。隙あらば自分語り。そしてこれって、インターネット上で盛り上がるミソジニーとかフェミニズムとかの辺縁にある物事でもあると思う。共感は力だが、共感を生むだけの言葉には実態が伴わない。この実態というのはミソジニー/フェミニズムにおいては理念の達成だし、冒頭のオタクに話を戻せば「作品の批評」だ。
なんでそれが「作品の批評」になり得ないのか。この言葉が自分(オタク)たちの方しか見ていないからだ。オタクがきもいとかは発言者が考える事実であり世間一般の見方からとも大きくはずれていない。かつ現在社会で問題になっている低賃金の話も入っているのでこの部分は事実を述べている、と言える。そして対象作品はムーヴメントになっているのでウケているという部分も正しい。日本語的な破綻はない。
でもそれは破綻していないだけで何も言っていない。オタクが、自分の見ている作品に対して「オタクが見てます」と言っている、だけだ。自分のことを言っているだけで究極n=1でも成り立つ論理になっている。
もう一つ特徴を挙げると文の中ですごくオタクを悪し様に言っている。こき下ろしているといってもいい。これはもちろんインターネットギャグでオタクにはそれがわかる。ファッション同族嫌悪。巻き込み型謙遜。傷を舐めあっているということだ。これは古来からのギャグなので良し悪しは問わない。
つまりこの文は『自虐したオタクが、自分の見ている作品に対して「オタクが見てます」と言っている』というものになる。これらはすべて自分たちの方向を向いた言葉で目新しさはない。でも拡散されたり星がついたり共感を呼んでいる…同じ境遇であるオタクの中で。それはそうだ。自分(たち)のことなんて、自分が一番知っているし共感できるからだ。知っていて共感できるという構造が最初に書いた「意味がないのに不必要に攻撃的で共感を生みやすい。SNSで拡散されることに特化した空っぽの文章」ということだ。

最初にこういうのが嫌いですと言ったけどなんで嫌いなのかと聞かれるかもしれない。これって「批評ができない人が簡単に芯を食ったっぽいことを書ける」テクニックだからだ。SNSで考察が流行っているのはご存知だと思うけど考察って流行るほど万人に出来る行為ではない。考えて察さなくちゃならないからだ。そうなると考察のレベルに届いていないものが考察の名前を借りてバンバン出てくる。質の劣化具合で言えば「いかがでしたか?ブログ」と似ている。その最もよくない例がこの「作品を今の社会環境と結び付けてなんか言う」やつだ。何回も書くけどオタクの現状を書いているだけで、作品のことを何も考えていない文章だからそれは。見てなくても書ける。でも共感されやすいから、他の芯食った考察くらい拡散されちゃったりする。
もう一つ悪い点を言うなら「ファッション同族嫌悪。巻き込み型謙遜」の要素で汚い言葉を使っているのが良くないと思う。汚い言葉を使うのはコンテンツに対して失礼だし、自分のことしか見てない文章を書くためにコンテンツを引き合いに出してわざわざ書く言葉ではないと思う。アニメとか漫画とか面白いと思ってるんだったらそんな汚い言葉とコンテンツ名をそばにおいてほしくないし、どーでもいいと思っているなら黙っててほしいし、コンテンツを悪く言いたいために書いているならもっと踏み込んでコンテンツを悪く言ってほしい。

そしてこういう雑な考察もどき(うまい総括が思いつかなかったのでこの言葉を以降使っていく)がはびこると悪貨は良貨を駆逐する原理でオタクは自分の周囲にしか目が向かなくなって、作品を見れなくなってしまう。作品を通して何かする前に、作品をきちんと見ないといけない。作品内のリアリティラインで、ガジェットで、セリフで物語を見るという難しい行い(これって難しいんだよな)をやっていこう。これは自戒です。

ここで例を出すのも良くないけど、アニメ様の逆襲のシャアに関するコラムがこれを完璧にやっていてすごいと思ったので貼っておく。

www.style.fm

語る対象が作品内の富野由悠季の雰囲気、ということもあって何分何秒のセリフがこういう演出でこういう意図で…ということがつらつら述べられている。すべてがこうあるべきとは言わないしそりゃ無理だけど、せめてこういう作品への真摯さは持っていたいと思う。
予感だけど、前にもこういう考察もどきに対して俺は喧々言っていて今も言っていて、以降もそういう記事をネットで見たらまたぷんすかしてしまうだろう。ほんと、ちゃんとコンテンツをダシに自分語りしないで真っ向からコンテンツを楽しめるのが一番いい。