WEBで「社会学はどこからきてどこへ行くのか?」の前段となる対談が公開されている。
前にブログで書籍版の感想を書いたのだけど、それはもはや感想というより書き抜きみたいな形になっていて、頭で咀嚼できていないことが丸わかりだった(しかも本の返却期限の兼ね合いで現物がすぐ手元からなくなってしまった)。
なので冒頭の部分だけでもこうして読み返せるのはうれしい。で、読み返してみるとやっぱり面白くてにこにこしてしまった。
もともとこの本を読んだきっかけは「社会学はSNSでボコボコに言われている」という意識が自分にあったからだ(ボコボコというほどの暴力性はないかもしれない。なんというか『まーた社会学者がなんか言ってらぁ』みたいなスタンスだろうか)。それは現代SNSにおいて社会学者が、社会学という権威を借りて「お気持ち」と称されるn=1の言葉を言う人だと思われているからだと思う。「それってあなたの感想ですよね?」というファクトフルネス意識だ(この二つを並べるのもちょっと違うけど。「感想~」は言う場面が問題視されているのであって、ファクトフルネスはそれ以前のデータを収集し理解するというところを重要視している)。
もう一つ、「低所得者が~」とか言ってるけどあなたええとこの大学出て稼いでるじゃん、みたいな「ポジショントーク」の問題もある。あいつは口だけでさ、現場のことってわかってないよねという意識。
そう思うと社会学ってのは大変で、全員が意見してくる学問なのかもしれない。経済学部の人間に「経済学ってのはよ~」と持論を吹っ掛ける人はそうはいないと思うが、社会学部の人間に「俺に言わせりゃジェンダー問題なんてよ~」と吹っ掛ける人間は存在する。扱う物事が近いというだけでそういう行為は格段に行われやすくなるのだ。もしくはサイレントマジョリティーが多そう、という俺の偏見。特に男女の問題についてはそうじゃないだろうか。
ここまでは俺の考えで『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という本はそういう問題意識から書かれたものではない。でも俺の考えにいくつか関連する点があったので良かった。
WEB連載は書籍版の第一章にあたる部分のみだが、内容は濃い。連載の4回くらいで社会学の成り立ちとそこから行ってきたこと、その問題点が語られる。5回では『理解』というキーワードを使い社会学における計量調査の暴力性が語られる。この2つの問題点が提示されることで最初に言った「社会学者ボコボコ問題」は氷解していて「そういう一面は確かにあるけどそれは乗り越えられようとしている」ということなんだと俺は理解した。途中で出てくる「固定→バラバラ」の例なんて有象無象のメディアで見るまとめ方だし自分が大学生ならレポートにさらっと書いちゃいそうと思った。そういう包括的な時代の理解という意義と、ミクロな視点で数を用いて社会を見る意義、2つの意義が社会学にはあるということがわかるだけでこの連載を読む意味があったな、と思う。
そして最後の「ロマンチックな」話はやっぱりいい。どうも社会学においてショートカットとかは存在しなくて、泥臭く隣に立っていくということしかないように思える。