続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

日記(ありスパ・目標)

某日
『ありっちゃありスパーク マシュ』(オモコロの原宿さんとおすしさんがやってるネットラジオ)の根岸ステークス回が面白い。原宿さんが「競馬はデータだ」と豪語して語られる競馬のデータのすごみとそのよどみない語り口が「オタクはかくあるべし」というほどのインパクトを持っていた。最後の普通に外れるというオチもいい。俺は基本音声媒体は作業のお供にしてしまうので、情報密度が高すぎると肝心なところを聞き流してしまうのだ(『匿名ラジオ』はその最たるもの。『ゆる言語学ラジオ』もその気がある)。その意味で『ありスパ』の情報密度はちょうどいい。あとTwitterで話題になるコンテンツの話が多いので2か月くらい遅れて聞いてるとちょうどいいんだよな。それ関連でこんなものを見た。

anond.hatelabo.jp

YouTubeの教養コンテンツがいろいろ挙がっている。この中だとドクターキャピタルは時々見てるかな。まぁ中田敦彦の動画を両親が見ているくらいの世界なので何が教養とされても驚かないし情報発信系のYouTubeが人気なのもわかるけど、余暇にこういう物を見ているとこう、オタクは情報に触れすぎみたいな謎の指摘が喉の奥の小骨のように引っかかる。いいんだけどさ。

 

某日
友人とディスコード。ホグワーツレガシーのうわさを聞く。ハリポタシリーズは全世界で阿保ほど売れてる本で、俺も例外なく子供のころはまったクチだ。特にヨーロッパ(イギリス)の文化に初めて触れたのがハリポタだったので、今で言えば「ナーロッパ(なろう系で良く出てくる雰囲気西洋っぽい世界観)」みたいなものをハリポタを通じてコジエズ少年は持っていたように思う。海外のどこの城見ても「ホグワーツじゃん」って言っちゃうみたいな(類型として、すべての高層和風建築に「千と千尋のモデルじゃん」と言っちゃう現象がある)。
あと結局ハリポタ最終巻読んでないんだよな。まぁ話は結構どうでもよくて世界観が好きなだけだったのかもしれない。クィディッチワールドカップの描写なんて本当にワクワクしたものですね。

 

某日
年度末が迫っていて、各所で目標設定という言葉を聞くようになった。そして目標設定において難しいのはやりたいことと目標設定がそぐわないことだ。やるべきことは明確なのに目標が立たない。立たないというのは俺より偉い人(俺は自他ともに認める下っ端です)が俺の仕事をマネジメントする時に有用な目標にならないという事っぽい。でもやるべきことはあるんだからやるしかないんじゃないのと偉い人の空中戦を見ながら俺は思っている(もちろんこの目標に応じて俺は評価されるので俺がうれしい目標になると嬉しい。「毎日パンケーキをおいしくたべよう」とか)。そもそもそれは目標というゴールがあってそこから逆算すると今やるべきことがわかってそれが可視化されているべきだという考えからくるものだけど、その考えは1950年代に生まれたものらしい。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp


よくビジネス書の表紙になっているドラッカーってこういう人だったんだと思うと同時に、目標って案外若いじゃんと思う。でも目標が無い業務というのはちょっと考えづらい(目標が先か業務が先かというのはある)。なんだかそういう世の中の大きい概念はどこから生まれたんだろうというのが最近気になっている。お金とか。結婚とか。
ちなみにこの目標の無い業務みたいな、今のフレームワークが無い状態でフレームワーク以上の成果を出すという怖い文章が以下の奴。

softether.hatenadiary.org


これを見ると森博嗣のS&Mシリーズの一節を思い出す。

混沌とした話をしているね。もっと抽象的にいいなさい
ようするに、つながっているのに、つながらない


フレームワークは対象行為が下手な人にもうまい人の半分くらいの出力を安定して出させるためのもので、そもそもうまい人はフレームになんて囚われないのだ。