続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

好きは薄い

 

上記のツイートを見てうーぬとなった。正直個人的にこれには否定的でやっぱ好きなもの語っていこうぜという気持ちなのだけど、このスタンスでいた結果周囲がこのマインドで同質化しておりそれはどうなのか?という考えがある(いきなりn=1の話)。
もう少し話を広げると近年のオタク界隈は好きが横行していてその代表格である「推し」にいまいち賛成できないとそれは抜きにしてもそういう時代の語り口に乗るだけってのもなーという点の2つでも、好きの語りについて口はぼったくなる要因だ。
と言いつつ後者のような話も俺は慣れていない。
と煮え切らない俺でもこのツイートに反応してしまうのは、世の中のすべての話題ってことはないが、結構多くの話題がこの二項対立に当てはまるのは事実だと思うからだ。特にオタクにとっては。
で、「好きは薄い」というのは真実だと思う。好きという気持ちは会話にとっては脆弱だ。まず「好き」を他人に理解させるのはとても難しい。いくら好きなものを早口で雄弁に語っても他人と自分の熱量には恐ろしいほどの差があるのが普通だ。会話の根底を共感に置いたときにその共感が「好き」にとっては発生しにくい。ではなぜ「好き」を話してしまうのか。それは意思の疎通を目的としていない語りがあるからだ(もちろん意思の疎通を目的とした「好き」の語り口もあるだろうけどオタクはそんな温い語りを求めていない、という前提で話しています)。一般的な尺度では「薄い」が別の欲求で「好き」は語られる。
他方キャリアとかお金とかそういう「必要」なものの語りは一般的な尺度で「濃い」(必要という表現は好きとの対比で置いてみたものだが、現代社会に生きるうえでどうしても要請されてしまうものとしてお金とかキャリアを捉えると「必要」って言葉はあながち遠いものでもないと思う)。それは共感を呼べるからだ。誰しもがそれについて困る困らない関係なく一家言があるからだ。会話におけるインフラと言ってもいい。まぁお金の話をすぐするとおぎやはぎの結婚詐欺師のネタみたいになるけど。そしてこのインフラには時系列が存在する。キャリアなんて時系列の最たるものだ。28歳で結婚して30歳で第一子をもうけて育休取って…。時系列は人の目を未来に向かせる。いい時系列は楽しい未来を暗示するし悪い時系列もそれを避けるために頑張ろうぜ!みたいな克己心を煽ってくれる。
翻って「好き」に時系列は存在しづらい。語り手が抱える好きという気持ちは現在のもので、いくら文字数を費やしてもそれは現在を克明に描き出すことしかできない。28歳でこのアニメにはまって、30歳でこのマンガ読んで…みたいな「好き」のキャリアプランを立てる人はそうそういないだろう。
ここまで好き/必要という二項対立を設定してきたが、時系列ある/ないの二項対立のほうが正確な気がしてきた(そんなあからさまな話題転換があるか)。
元ツイートは「もう今だけの話なんて飽きたよ」ということなのかもしれない。「もっとロングスパンで、ありえそうな話をしてくれよ」という気持ちは大人の視点だ。子供はそうはいかない。子供は時系列を意識できないから。青春に時系列はない(急にキャッチコピーみたいに)。そう考えると自分の語りは…圧倒的に時系列に欠けている。大人になれない。なんだか普通に反省しちゃいました。トホホ…