某日
起きる。ご飯を食べる。二度寝する。起きる。昼を食べる。音楽聴く。寝る。夜を食べる。
こんなことしかやらなかった。分かってきたのは最早「体調万全」なんてことはないことだ。あるのは「うっすら不調」か「うっすら(めっちゃ)眠い」だけなんだろう。仮に寝て体調が万全だとして、そこで残る時間が少なければ意味がない。ならうっすらのbadとは付き合っていくべきだ。反省。
某日
起きる。一日を取り戻すべく昼から『悪は存在しない』を見に行く。まずこの映画の上映館が見に行ける距離にあることがありがたい。初めて行くその映画館はスクリーンが一つで、受付の奥に上映設備(的なボタン)があるクールな映画館だった。なのに行きがけに腹が痛くなり、脂汗をかきながら入場する。インターネットではみんながどか食いとかその末の至るなんて話をしているのに俺はコーンフレーク1杯で腹を下している。生き物としての作りが違うんだろう…。そう思いながらやっとこさトイレを出て端っこの席で映画を見る。映画の話より先にこの体験も結果的に結構良かった。映画って気合い入れて見に行くから、スクリーンが大きいとか音が良いとかスペックの関係で真ん中近くの席を取ることが多い。もちろんそれは映画への没入感を高めてくれるのだけど、よくも悪くも雑に単館の端っこの席で映画を見るというのは、スペック重視の映画体験という価値観を少し崩してくれた。角度の問題で嫌でも「これはスクリーンに写っている」と意識させられる映画はそれはそれで自分との距離があって良かった。
で、映画本編も良かった。中盤の車のシーンで「あ、こういう多視点で一意的な悪を否定する的な…」と思いきや後半の突然の暴力。ゾッとしたけど、不思議と映画のトーンは合っていると思った。都市で振るわれる暴力は人間に対して巨大な力だが、自然の中で振るわれる暴力はなんだか小さく見える。自然というものの得体のしれ無さ、その中で人が奪い奪われて生きていく形……多分この映画はノワールの空気を孕んでいてその印象は主演の力が強い。素晴らしかった。ただ個人的にあの人とは仲良くなれそうにない。
雪山の映画を見たあと春にしちゃ暑い日差しの下を歩く。アイスコーヒーを買って飲んで歩く。アイスコーヒーを買うのに悩んだ挙げ句マックで買う。
冷やし中華を食べて作業やらなんやら。音楽の拡張子って多すぎないか?
某日
人生の半分をはるかに超える付き合いの友人らと久々に食事。中華の食べ放題を食べてショッピングモールをぶらぶらする。申し訳程度の近況報告のあと、会ってなかった間の映画と音楽と本の話をする。DVDのワゴン売りの前で一作ずつ感想を言い合う。今更ランボーの話なんていいんだけど、こういうのは中身よりもテンポが大事だ。友達と昔と同じリズムで話しているという事実が楽しい。記憶というのは写真や動画という形で残すこともできる。そして会話や振る舞いという肉体的な形で立ち現れることもある。あの時たしかに、学生の空気が立ち現れていた。ファミレスで好みの映画と好みの音楽を交換しあって帰宅。