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復讐そのものになったフュリオサが産み落としたものについて

『フュリオサ』色んな意味で真面目な映画だと感じた。が故に2時間半という時間になっているが当然それでも内容はみちみちに詰まっておりかなり力技の圧縮も見せてくれる(ナレーションで年表を流すのはあまりに剛腕)。

デスロードの前日譚だが、まず世界観を色々と補完してくれているのが単純に楽しい。ガスタウンや弾薬庫がちゃんと映されるし、造作が終わってない砦が出来上がってく過程。何よりホーリー・モーターズと呼ばれる工場のシーンはまるでプロジェクトXを見ているようなアツさがある。『ウォータンクに要求される積載量と荷を守る為の様々な兵器。精々個人が乗る車の改造を請け負っているだけのホーリー・モーターズは、開発に持てる技術を全て注ぎ込んだ。しかしイモータン・ジョーの要求は高かった…』と田辺トモロヲが喋る声をバックに早回しされる開発現場が幻視できる。

が故に前作の狂気、説明なく全てがおっぱじまるスピード感が欠けているとも見えるのだけど、それは前作におけるマックスがいないのだから仕方ない。前日譚がそんな作りな理由がない。フュリオサは理不尽に奪われ、それを見放すことが出来ないキャラなのだ(しっかり親の死に様を見ている)。奪われたなら取り返す…それが彼女が身にまとった信条だ。マイナスをゼロへ。彼女は復讐そのものだ。だから砦の地下でウジ虫により癒されているだけでは我慢ならない。安全よりも己の成すことを優先する。

そしてその理不尽な簒奪は、狂気を冠するキャラ、ディメンタスによって成される。クリス・ヘムズワース演じるこの男は世紀末世界において顕著に狂っている。まさにならず者の王。人の上に立ってはいけない人間(だから最初はバイカーの寄せ集めしか統治できなかったのだろうけど)。俺はこのキャラを見てワイルド・スピードジェイソン・モモアが演じるダンテを思い出した。しかしダンデはクレバーでキュートだ。ディメンタスは馬鹿で気分屋だ(正確には人に嫌がらせをする才能はある)。この性格のせいで彼はマッドマックス世界から決定的に浮いている。他のキャラは世紀末だからこそ何かを信じ、何も信じず、己の最適解を見つけようとしている。しかしディメンタスは己の力を目的なく振りかざしていて人の上に立つことにしか興味がない。この信条の無さが彼を作中で特別にしている。

では目的があればいいのか?必ずしもそうではない。マッドマックス世界で男は労働であり女は生産とされるが、男の労働には意義がない。日々の労働は仕事ではない。だから、彼ら(主にウォーボーイズ)は常に自分の仕事を死によって完遂させようとしている。日々の労働は彼らにとって死の一瞬のきらめき、死の先にある報われる館に比すれば価値がない。男は使い捨てだ。女だけが、1を2 かそれ以上にできる。

という話は最終的に『復讐は何も生まない』という言葉に帰結する。フュリオサは女性でありながらマッドマックス世界の女性性を捨て男性として、使い捨てとして生きざるを得ない環境に追い込まれてしまった。彼女の怒りは、なすべき復讐はその身を賭してもギリギリの目標だからだ。やるかやられるかのその怒りは本作ではディメンタスへの復讐に向けられるが、ディメンタスには信条がなく復讐、つまり彼を自分と同じ苦しみで灼くこと、は成立しない(と本人がしきりに最後言い連ねる)。何も生まない復讐を完遂される理由とは何か、古今東西のフィクションが投げかけてきた問いだが、この問題をフュリオサは最後、ディメンタスを生きたまま木の栄養にして実を成らせるというやり方で解決する。いや、解決はしてないが、この処刑方法はとても示唆的だ。男であるディメンタスは最期に自ら生産を行い、つまり男性性を剥ぎ取られる。フュリオサは隠してきた女性性による生産をこの行為に仮託し、次世代へその果実を繋ぐ。この果実は復讐が、フュリオサ自身が生んだ果実だ。

母を奪われた怒り、自らの女性性が虐げられてきたことへの怒り、それは今もなお管理される女性達の血肉となり、怒りのデスロードへ繋がっていく。

 

という話を「何も生まないとされる復讐の貴重な産卵シーン」と一言で茶化してしまいそうになるのはインターネットのよくないところです。