続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

行方不明展/鑑賞のモチベーション

『行方不明展』を見に行った。時間指定のチケットだったのだけど、日本橋のギャラリーの前には待機列が形成されていて、見たところ若い世代が多いように感じた。開場時間になるとワッと列が動き、開場の各所に展示されたオブジェクトにはおおむね並ぶ必要がある、そういった活況のある展覧会だった。

展示にはざっくり四つの区分があり、その中での鑑賞の順番はあまりなさそうだったのでこれから行く人は地下から見ていった方がいいのかもしれない。あと映像・音声作品は全部の尺を見切るのは時間指定チケットだと至難の業なのである程度諦めをつけて進んでいく方がいいと思う。こういった事務的な(事務とは?)話を書きたいわけじゃないので面白かったところを書いていこうと思う。

・「行方不明」の定義

展覧会の最初にはっきり書かれているが、展覧会で扱うオブジェクトは行方不明そのものではなく行方不明の周縁で起こる何かを集めたものだ。特に地下の展示においてはそれが顕著に感じられた。だから間口が広く様々な角度の行方不明が見られたというところが良かった。最初の「人の行方不明」の部分が大きくフィーチャーされていたように感じていたので他の部分もかなり満足度が高い。

・設定の良さ

この展示はフィクションなので設定と断じるけど、設定がいいものが多い。「壁に向けられた望遠鏡」や「盗撮の映像で作られたカラオケのMAD動画」などは単発でもかなりいい設定だ。「行方不明のやり方を教えるVHS」もおいしいしなんか内容がきちっとしてるのもGOOD

という良さをわかった上で、展示の後友人らと飲みながら話していたのは行方不明展を楽しむモチベーションだった(というより俺が一方的に話を振ったのだが)。

俺はホラーがぼちぼち好きだが、ホラーの展覧会というものに始めて行ったので正直最初の列でかなり面食らっていたというか、その列に満ちる何らかの期待感は何を期待してのものなのか、期待感の振り下ろし先をわからずにいた。良いところに書いたようなものを良いとするとこの展示はひたすらに行方不明という現象の切り口を見せつけるものであり「あぁ!」とか「なるほど!」とかいう思考の終点を示すものではなく、むしろ出発点を多く示してこちらにその先を委ねてきている。その委ねられたものをどうやって飲み込むかという意味でこの『行方不明展』は現代美術の展覧会に近いバイブスがあった。しかしそういうバイブスを展示に感じながら会場を回るにはあまりにも人が多く、内面と外面のテンションが釣り合わないなと正直思っていた。まぁそういう、フィクションのビデオを押し合いへし合いして見るシュールさは嫌いじゃないのだけど。

さらにモチベーションの話で言うと、ホラーはわからなさを売りにしておりかつこっちが作品に歩み寄る必要があるので、結構鑑賞者の負担が大きいジャンルである(そこのギャップを怖さという根源的な感情でショートカットできるのが強みでもあるのだけど)。そしてその負担の大きさは、ジャンルに慣れていくことが鑑賞体験に与えてしまう影響の大きさと表裏一体だ。つまり、慣れれば怖くない。そこでこの展示に来る人は多分慣れている人が多くて、ホラーオブジェクトを斜に構えてみてしまう癖がある。そういう癖が映画や小説などで発揮されるのはいいんだけど人がいっぱいいるところで発揮されると他人の鑑賞体験を損なう危険性があるというのもちょっと見ていて思ったことだ。

結果、ホラーオブジェクトの展覧会はかなり難しいバランスで成り立っているのだと言える。そもそもホラーを大勢で感じると言うことは難しいだろうし。その最適解が今回示されていたかはわからない。ただ、しっかりと開かれた態度で見に行けばかなり得られるものがある展覧会ではある。そういう心構えがきちっとできる人にはお勧めです。ただ人と見に行ってここがずれていると、ちょっと、いや、かなり鑑賞の後「うーん」みたいになることが、あるぜ!まぁ万事がそうと言われるとなんともなんですが。