続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

FRENZ2024お疲れ様でした(イベント感想編)

FRENZ2024おつかれさまでした。コジエズとしては2日目夜の部(のトリ前!)に作品を上映していただきました。ありがとうございます。作品制作のもろもろはいずれ書きます。
というわけでまずは全通参加者としてイベント全体の感想を書いていきます。


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〇イベント前日まで

まずチケットの争奪戦が例年のように過酷だった。発売日当日は台湾にいたので初めてインターネットを介してチケットを取ったが結局決済エラーで1枚取れず。取れなかったのが深夜の部だったのであきらめようとも思ったけど、ダメもとで抽選申し込んだら取れたので今年も全通という結果になった。別に全部行くことがどうって話ではないがなんかね、行きたくなっちゃう。

作品提出後の準備としては名刺を作れたので良かった。名刺が新しいというだけでも人に話しかけるきっかけになるので良いです。あと1日目夜の部の後の宿が全然なくて3連休の恐ろしさを痛感した。

 

〇イベント当日

9/14

なんかあまり寝れずに起床。まだ遠足気分。新宿に着くやいなやクエン酸ドリンクとおにぎりで脳を活性化させる。いつものように開場前のLPO前でうろうろする。いっつもこの時間って所在がない。基本場に出るのが年一なので、自意識が最初うまく固まってないのかも。開場時間になり、会場に腰を落ち着けるとようやくいろいろな自覚が出てきて顔見知りの方には挨拶できる。続々と人が入り、上映前注意事項が始まればもうあとはイベントの熱に侵されるだけだ。出展者の名前に手をたたき、コメントで思いを巡らせ、作品に目を奪われ、登壇した方の話に耳を傾ける。ちなみに俺が好きなコメント第2位は「初出展です」で第1位は「二回目の出展です」です。

また休憩中も当社比でいろんな方に声をかけることができた。ありがたいことです。毎年休憩時間に声かけたいと思いつつ全然かけられないので。マジで。冷静にどんな声がけでもいいんだ。俺は今年初めて声をかけた方に2017年とかの作品の良さを語ってしまいました。それはちょっと悪かったなという気持ちがあります。

熱狂の1日目の後、いろんな方々と軽い打ち上げ。終電の関係であまりいられなかったけど、こういう30分くらいの交流が1年や2年続く火種になるので幸せだなと思う。騒々しい新宿駅をバタバタと通過し、宿にチェックインしサウナに入って寝る。

9/15

9時くらいに起きる。ひとっ風呂浴びて宿の飲食スペースでハムエッグ定食をいただく。ハムエッグに醤油をかける時って少し日本人の誇りを感じる。おなか一杯になったのでレストスペースで一寝入りし12時にチェックアウト。チェックアウトが遅い宿を探した作戦が功を奏した形に。デニーズで冷麺を食べたり新宿でお茶漬けを食べたりしてイベントに備えていく。LPOの地下に並ぶと吹き出る汗。そういえばこんな感じだったわ…。出展者なので中央付近に陣取り、開始を待つ。会場に人が入り始めると共に急にメンタルがぐるぐるしてきて気が気でなくなる。助けてくれ。まあこの辺の葛藤は制作編の記事で書くとして、単純に参加者としての感想など。

・みんな全部やる

毎年言ってるけど今年もまた全部やる人がたくさんいた。なんでみんなそんな手札あるの?5枚までしか持てないルールじゃなかったのか?しかしこの傾向は個人的には嬉しくて、手数が増えれば人が作品に込められる熱量が純増するからだ。そういう思いが重い作品を見るためにFRENZに足を運んでいるフシがある。とは言え、全部やらなくてもよくてチームで作り上げる良さもある。関わる人が増えると作品の中で作者の意図しない部分が光り始めたり、突然変異のような良さが生えてきたりするものだ。そういう予想を超えた作品を見るためにFRENZに足を運んでいるフシがある。ただ様々なツールが安価になる中で全部やる傾向は加速していくだろうと思う。特に自主制作なら。

・壇上トークの良さを改めて

FRENZに存在する壇上トークという制度は他の映像イベントでは珍しいと聞いた。そういうことを改めて認識するとやはりあの時間はありがたい。一番聞きたいタイミングで作者がトークしてくれる。作者と作品を同一視してはならないという話題がよくあるが作者が作った者である事実は揺るがないのでこのトークは必然作品に関するものになる。思えば人の話に黙って耳を傾けるという場もあまりないというか、常に世の中は声が大きくあれという空気に満ちている。そんな中でたどたどしくもあの高揚した場で話ができる、聞けるというのは話す側にせよ聞く側にせよありがたいなぁと思う。あと映像作家のトーク割と面白いことが多くて楽しい。

・もう、強いとかない

どうしてもたくさん映像を見ると特定のものに強いとか言いたくなり、強弱の尺度で物事を見てしまう。しかし今年はなんかそういう枷が外れて、割とフラットに作品を楽しめた。俺の心持ちもあるだろうけど、作品の並べ方もそういう意図があったのではと勘ぐりたくなる。思えば、世の中を動かすレコメンドという力学は強いものを強く弱いものを弱くする力なので、昨今目に入るものは一定のレベルで強いものか多い。そんな見えざる手によるレベルの底上げに染まらない、何が出るのかわからない闇鍋型強制映像視聴イベントにおいて大切なのは全てを飲み込む寛容な目線なんじゃないかと今書いていて思っている。てかこれ、イベントの感想か?俺の考えをここぞとばかりに開陳しているだけではないのか。総括すると大変楽しかったです。

・ココナッツキーマカレーはおいしい

これは本当

 

そんなこんなで2日目深夜が終わり、FRENZ2025が発表される。終演後も様々な方と挨拶をさせていただく。この終わりを惜しむかのような雰囲気が好きだ。片付ける側は困ってるのかもしれない…それは申し訳ない。地下から這い出て新宿の朝に立つ。頭はボーッとしているが冴えている。あれ凄かったっすねぇなんて立ち話をしつつ時間に押されて場を後にする。もう1年会わないであろう人と笑顔で別れを交わす。ホームで電車を待っていると騒がしいはずの朝の雰囲気すら静かに聞こえる。あんなに重低音を浴びてればそうもなる。電車に乗り静かに家に帰って寝る。耳の奥でまだ低音が響いている。

9/16

昼に起き、眠い頭でハッシュタグを追ったりしてだらだらする。作品の公開にはまだかかりそうだからファンアートの算段を立てたり、こうしてブログに感想を書き始めたりする。

そんなこんなでFRENZ2024おつかれさまでした。スタッフの方々、関係者の方々のおかげでしがない労働者が2分だけ映像作家として人前に出られております。これは作品と直接関係ないのだけど、俺ができることはちっぽけでほとんど自分の利益にしかならない。それだけやっていてもそれなりに幸せだし俺は利益を得られるし。でも時々他人に利することやりたくなる。俺にとってその一つが制作で、その結果作品が生まれているという感覚が強くある。この他人に利する行為は得であり善と呼ばれる。つまり俺は作品を通して善い事をやっているんだという気持ちが今回ありました。その結果あれができたというのは個人のひねくれの結果なので笑って許してくれ。

えーと、つまり善い事をさせて頂けてありがたいなぁという話だ。ありがとうございます。願わくばこれからも。そしてみんなの善い事を見ていきたいです。