続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

日記(LOST DECADE・ゴミうんち)

某日

起きる。友人らと落ち合う予定があったので、都内へ。昼メシがてらという話だったのでなんとなく店をピックアップする。思い切り自分の趣味に寄せた店が承諾されたので意気揚々と向かう。例によって変則中華料理屋へ。机の上に出しっぱなしの取り放題の唐揚げやもやし炒めに心が踊る。麻婆豆腐や、汁なし担々麺という外せないメニューの中、謎の白身魚と高菜の酸辣煮込み的なものを頼む。いざ来たそれは酸っぱく辛い汁に白身魚がゴロゴロ入っているやつ。まんまだ。しかし魚の身がプリプリしており汁のすっぱからな風味とよく合う。何気にご飯も進む。食べていると良い感じに発汗してくる。遅れてきた友人を待つかどうか微妙な時間になったのでとりあえず店を出て書店へ。何がどこにあるかわからないな〜と歩いていると時間になったのでその場を離脱。そのままMOGRAで行われるDJイベント『LOST DECADE』へ。MOGRAは結構な人出。開演までしばし一階で待つ。音楽、特にクラブイベントは周囲にいる人の層がガラッと普段と違うのでなんだか面白い。未だにそういう界隈に溶け込まるほどの雰囲気をまとってない為に浮いている感覚がある。まあ悪いことではない。多分死ぬまでこうだろう。開演後に地下へ。この低音を聴きながら地下に行く感じ、良い。結果的にイベントはすごく良かった。DJイベントって行くたびに意味がわからないというか、人がでっけえ音で鳴らす既存の曲を聴いてそれが繋がってなんか良いバイブスを掻き立てられるその過程がピンときていない。その意味のなさが良いのだという事かもしれないがそれにしたってこの生産性の無さは何なんだろうと思う。もちろん生産性という尺度から離れた行為なのでクラブに生産性なんて求めていない訳だが、あまりにこの世の理から離れた空間であることは確かだ。特に音楽なんて持ち帰れないものだし。しかし乗代雄介がブログで紹介していた一節で、肌はその感覚を記憶すると読んだことがあり、そういうことかもと思った。クラブで感じた振動とかを俺は肌で持ち帰っている。その行為が唯一クラブを後に記憶するものだ。アーカイブにも残らない低音の響きは肌にだけ残っている。そんな事を考えながら容赦なく音に自分なりに乗っていた5時間ほどだった。

最後の方は時間の関係で早引け。そのままサウナへ向かう。豚骨ラーメンの気分になったがなぜかどこもかしこも閉まっていた。唯一空いている店はなんだか胡散臭くて断念。サウナ内の食堂で肉味噌炒め定食をいただく。うーん。完璧。そのままサウナで汗を流し特に何も考えず就寝。

 

某日

仕事中『昨日俺爆音で踊ってたな』と思い返すとあまりに社会性のないその行いに笑ってしまう。ディスコテークというのは原初、政府や政治への抵抗運動でもあったと聞く。未だにあの地下の音は資本主義や成果主義への抵抗でもある。

某日

「ゴミうんち展」に行く。六本木の21_21でやってるやつ。まずタイトルがいい。ゴミうんちは物事の様々な排泄物であり代謝であるという話でいろいろなうんちやゴミが飾られていた。展示に疑似うんちというトイレの流れを確かめるための模造うんちがあったのだがその英語名が「pooploop popup」でなんかオシャレで一周回って鼻につくなどした。帰りにSHAKE SHARKでハンバーガーを食べる。でかいハンバーガーは楽しい。