つなぐこと。リアルはつらくてマジだけど、そのマジさをフィクションだけが超えて、繋げていける
その遠方からその遠方へと
→遠方であるという事実があり、その間に作品が存在し得る(かもしれない)。個と個が触れ合えない、という時に個を越える、漏れ出す器として作品がある。
これは2024年に書かれたメモで、そのままFRENZ2026の1次提出資料の一部になったものだ。 今回の動画はこのことを表現するために作られている。今回「全力投球」したと壇上で言ったがそれは潤沢な時間があったのでもなく技術を底上げしたわけでもなく、こういう1個言いたいことがあってそれを表すという動機ドリブンの制作だったということを主に指している。また、その動機にあった面白さを動画に組み込めた点、新しい挑戦ができた点など結構この動画は我ながらいいじゃんと思っている。具体的には1000やんわりポイントはあげてもいいと思っている。
と言うわけでそんなFRENZ2026新作『MIX Tale』の制作後書を書きます。図らずも今まで制作した動画の振り返り的な要素も含まれるので作品を全部見てからの方が楽しめます。おっと、ここに全作品リストがあるようだぜ
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FRENZ2026の新作はこちら↓
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○まず、面白いとは何か
オタクとして面白いものをたくさん見る中で、いくつか面白い物事に共通点を感じるようになった。逆に言えばそれを達成すれば面白いものが確実に作れるということである。やったね。それができれば苦労はしねェのだが。 まぁ、面白いものを作りたいとき目指すべき軸はいくつかあるということである。そして俺が感じる面白さの一つの軸は「作品のギミックがストーリーと不可分である」というものだ。 前提として、俺はギミックがある作品が…だぁいすき(ハート) このギミックベースで作られているのが拙作「りりはこちゃんねるの音MAD」と「1泊二日台湾旅行」である(身も蓋もない発言)。 まぁこの2つは大ぶりなギミックだが、ただそういった物だけではなくMVである、3DCGであるといったジャンルというのも1つのギミックと捉えられる。それぞれのジャンルで出来ることを理解して取り組まれている作品はすべて…だぁいすき(はーと) だがギミックはギミックである以上うまく決まらないパターンもあり、拙作の2つはFRENZという場を見据えて作っているので(特にりりはこ)、ギミックのみを見て評価とするのは良し悪しという感じはある。 でその良し悪しを解消するための手段が「作品のギミックがストーリーと不可分である」ことだ。ギミックに必然性があり、かつストーリーにも結び付くことで鑑賞者により強力に働きかける作品を作ることができる。 この好例は機能美pの諸作品(『平面惑星』が分かりやすい)であり、他にも枚挙に暇がない。出前さんの諸作品はバラバラというギミックに理由付けを行うことでこのギミックと動画の不可分さを実践されていてすごいなと思っている(勝手に作った定義に他人を当てはめて感心している異常者)。 更に言えばこの構造はコントによく見られると思う。よくKoCの講評で「展開が欲しい」という言葉が出るのはこのギミックに対するストーリー性の深さを求める言葉でもあると俺は睨んでるよ。俺の目は騙されへんよ(ミルクボーイ内海)。 そのよい例としてビスケットブラザーズ優勝ネタの2本目、ファイヤーサンダーのネタがある(キングオブコントの話がしたいだけなのかもしれない)
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散々偉大な先行作品を挙げておいてなんだが、拙作で言えば「LOVE FLAME」や「コジエ's日記」があたるかもしれない。 そして今回の作品『MIX Tale』はこの「作品のギミックがストーリーと不可分である」という構造を上手に達成することを目標としている。作品を見ていただければギミックはDJ、ストーリーは二人のキャラクターが合作することだとわかってもらえるかもしれない。ギミックとストーリーがそれぞれどのように作られて結びついたのかという点を見ていこう。
○ギミック
今回の動画のギミックはDJコントローラーだ。壇上でも少し言及したが元々DJの動画やクラブが好きだったので、2024年にDJコンを購入した。ちなみに購入動機である「全く音楽は出来ないがなんかつなぐだけならできるんじゃないかな!」という思いは手に入れてから破壊され、様々な曲でフェーダーやVFXをいじり遊ぶ機械になった。今はDJコンがSpotify Premiumと連動するのでSpotifyでお気に入りした曲がすぐDL上で再生できるので楽しい。しかしCUE打ちが面倒で全然触れてない。で、クラブなどではDJとVJというのがセットであり曲と映像がセッションのように同期することが多い。これを見ている時に「DJと完全に同期するVJはないだろうか」と思った。DJの中で行われるフェーダーの移動、曲繋ぎ、サウンドエフェクトという行為を映像に同期させるということは、DJの操作で映像を変化させることである。これが今回の動画の着想の1つになっている。
○ストーリー
最初に貼ったステートメントは2024年に書かれていてこの「つなぐ」というテーマはずっと意識としてはあったことが分かる。やはりFRENZで映像と音楽を作る人が合作しているのを見ると「創作は人と人を繋ぐのね」といい気持ちになるのでそういう場を多く目にしていたこともあるだろう。そしてこの「つなぐ」というワードがDJの行うmixと繋がるのはそう難しいことではなく、動画の着想は思えば2024年末にはできていたようだ。その中でつなぐ、混ざるモチーフを映像に入れ込んでいくことを考えて二人の登場人物が創作をして分かりあっていくというストーリーはぼやっと見えてきていた。正直この時点で良い映像になるのではという予感はあったのだが、2025年この動画はいったんお蔵入りとなる。
お蔵入りの理由はあまりに動画における音楽の比重が高かったからだ。ストーリー上DJでかけるための音楽を用意しないと動画は進まないが、音楽を発注するコンテを書くことも音楽がないとままならなかった。そもそも「なんかうまくメロディーが混ざっていい感じに聞こえる曲を2曲ください」という発注を見ず知らずの方にやる胆力が無かった。
そんな理由で2025年には別の動画を出し、果たして2026年何を作るのかと逡巡しているとやっぱこのストーリーをやりしかないか〜となった。良い映像になりそうという予感と、DJのギミックを先取りされないかという恐怖感がせめぎ合い、じゃあやったりますわとなったのがおおむね今年の3〜4月である。そこからは音楽の問題を棚上げしてBPM125のメトロノームに合わせてコンテを切っていった。その中で登場人物に色を設定することや、それを最後の夕日のカットに重ねるためにオレンジと紫にすることや今回のシンプルなデザイン、部屋の間取りやルックを詰めていった。
上映後に書き散らした設定をまとめたもの
キャラデザにもう少し付記するとデザインで目指したかったのはRYU OKUBO氏のアナログ感だ。しかし結果無理だったな…。
RYU OKUBO ART STUDIO|オオクボリュウ
で、FRENZ2026の募集が始まって1次提出をする段になり、もう背水の陣で曲を作ることに決めたのが7月である。
○AI
話は少しずれるが、今年のFRENZでも多く見られたAIの利用について。今回自分の制作にもAIを大いに頼っている。まずやりたいことの相談。そして欲しいルックを作るためにAviutl2で使えるプラグインの自作までお願いしている。個人的に今年ChatGPTに課金してかなり蒙を啓かれたので、バンバン実現したいことを聞き連ねてアプリを実装した。こうした今まで触れてこなかったものへ大きく手を入れる際の補助としてAIは非常に便利である。ちなみに画面で描線をぶらしているスクリプトが自作のものです。 あと制作の最終盤で何故かエンコードがうまく出来ず、最終提出1時間前に冷や汗をかきながらAIを激詰めして最適なエンコード設定を聞き出したり、それでも黒バックの画面が真緑になる現象が解決できずAIに動画を直接いじってもらって黒バックに切り出してもらう等かなり助かった。 個人的にはAI生成物を直で画面に出すのは美学的にまだ受け入れがたいが、こうして裏で使う分には良いと思う(さらに言えばあまり壁打ち用途でも使いにくい気がするのだけど、それは壁打ちに期待しすぎているだけかもしれない。自分の考えの輪郭を太くすることには向いています)。 そしてこの曲を作る段になってもAIに頼る局面は多かった。
○曲
最初に言うと曲はSpliceの素材をReaperで並べて作っている。ここまでにSunoやBandLabなども触ったがAIと検討してこの形式に落ち着いた。SpliceとReaperをどう使うのかというのはぴーなっつくんのこれが分かりやすい(さすがにReaperは使っていないが)。
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素材を探して並べてパートごとに曲を作る。一切ドレミファソラシドやコードやキーが分からなくても好きな素材を並べると曲になる…っぽい。ここでTHREE THE HARDWAREを全シーズン視聴した経験が生きるとはね…。
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でも今までかっけ〜と思っていた作曲家の方々と曲がりなりにも同じ行為を行えるのはミーハーな楽しみでもあり作曲行為はなかなかに楽しかった 曲の素材サイトは数あれどSpliceのいいところはSplice上で素材を重ねてBPMを調整できてそれをステムデータ(素材ごとに調整済のデータ)で吐き出せることだ。これをそのままReaperに張り付ければBPM調整すら必要ない。 Splice上で無数に素材を組み合わせて没曲を量産できるのは初心者としては助かった。 で、こうして環境が整ったとして果たしてどんな曲を作るのかというのが問題だった。そこでコンテで考えていたラストカット、夕日のシーンが効いてくる。もともとこのシーンにはSTUTS『Orbit』のジャケットというリファレンスがあった。
stutsbeats.com
STUTSのジャズ×ヒップホップ的な音楽性はライブに行くぐらいには好きだったし、あまりFRENZでこういった音楽性のチルっぽい音楽は聴かないなと思いこの方向性で行くことにする。そしてAIに聞きつつSpliceでRnBとかHipHopとかChillとか書いてある音源を漁って組み合わせたのが作品で使った音楽だ。 本当はSTUTSっぽいエレピのエフェクトやシンセの感じを入れ込みたかったが、動画の締めのところでちょっとできたかなくらいだった。でもReaper上でエフェクトを挿す(この表現音楽独特すぎる)ことやトラックのFXをエンベロープで調整する等の試みも出来たので満足している(動画で言うとX軸の数値をいじってオブジェクトを移動することができました、とかAviutl2で画面ごと「震える」エフェクトをかけましたという感じ)
STUTSを目指した結果として作中でも紫の人がMPCを叩いている。音楽は橙の方担当だが、紫は器用貧乏なので言われるがままに叩いている…という設定。あと橙がベッドの上で機械をいじっているのはサカナクション岩寺氏の『ヒトリテクノ』という企画のパロです。
○DJ
こうして曲ができたが、作品の中ではその2曲をDJコンというギミックに合わせて様々にいじる必要がある。そうしたDJっぽいエフェクト(曲繋ぎ、フィルター、スクラッチ、リバーブ)がかかっているところは基本DJコン上で行っている。DJ KOOの動画とか見て勉強しました。しかし操作が拙すぎるためDJコンのプレイを録音して更にReaperで調整したりもしている(スクラッチは生スクラッチにスクラッチの素材を足しているなど)。触れば触るほどDJをリアルタイムでやっている人間の脳内が怖くなってくる。あと実写パートの手つきは完全に嘘です。
○1次提出以降
今年も無事1次提出を通過し出展が決まったため、映像と音楽を同時に進めていくのが8月だった。 ただそれぞれの方向性が決まっていたことと事前に大まかなストーリーが決まっていたこと、またキメのギミック(A→Bの曲の移行・ラストの夕日のシーン)が決まっていたことが幸いし、力の入れどころを調整しつつ進められたのは良かった点だった。また絵についてもキャラはシンプルにした上でかつ部屋の描写などは好きなものや欲しいもののみで構成したため、基本的に作画は楽しかった。それはそれとして絵を描くのはつらいのだけど。 完成作品への様々な感想でこの辺で工夫した点はすべて報われているので特に特筆することは無いのだけど、1つこだわりとしては最後のシーンで完成作に「1いいね」が付くシーンはあえて視聴回数を映していない(視聴回数の前にいいねが付くことは現実ではありえない)。これは作品は視聴回数(インプレッション)ではなく感情を動かすことが目的であろうという俺の考えを反映している。いいねもインプレッションと言えるかもしれないが元来いいねとは心から物へ親指を立てることであるからだ。作中で二人が作った作品は作者である二人が肩を並べられたという時点で本懐を遂げているという風に見てもらえたらとっても嬉しい。
○実写
一応実写についても少し。実写部分は海外のDJmix動画の始まり方をパロっている。
VIDEO www.youtube.com もともと自室で撮った映像にしていたが、普通に恥ずかしいためレンタルルームを8/31に借りて急遽撮影を行った。また会場公開版では全くのノンエフェクトだったがネット公開にあたりエフェクトを足している。やはりスマホそのままの映像は少し加工しないと恥ずかしい、、。あと実写→アニメの繋ぎは二口コンロってDJコンに似てるよねというだけのやつです。
そんなこんなで修正期間までフルで使い、映像は完成した。作りこめなかったシーンは多々あるが、最後の夕日のシーンがまぁいい感じに出来たのですべてを許した。
そういえば先日の感想配信で今回の作品が「ワイルドカード」だったのではという話をしていただいた。 ※ワイルドカード:創作者が自身の創作の源泉をさらけ出し作った渾身の一作を指す。創作者は他人のワイルドカードを見ると死ぬ。 ありがたいことだが、長年FRENZに来ていて(さすがに8回出展しているのは長年と言わざるを得ない)思うのは自分のワイルドカードの無さである。創作というものに人生を賭したり活きる指針を見出したり救いの福音を聴いたりするハイパーMAX創作者がひしめく魔窟で、何のポリシーも無く社会性フィルターを被り日々を過ごして時たま白ご飯を炊いたりしているだけの俺が何をできようか。そういう思いを本当に抱えて毎度出展しているのだが、最近思うのは、俺に創作の動機があるとして、それは創作者への憧憬ではないかということだ。そして創作者が好きな人が創作をするということは創作している自分がその局面において好きだということでもある。俺は創作者が好きだ。そして創作をしている自分も、結構、まぁまぁ好きである。 ところで『メタモルフォーゼの縁側』という漫画がある。主人公はあるBL漫画のファンであり、ひょんなことから近所のおばあさんとその漫画を通じて友達となり、更に初めて漫画を描き創作イベントに出ることとなる。受験のための塾通いと偽り日々おばあさんの家で漫画を描く主人公に、おばあさんは声をかける。
漫画描くの 楽しい?
主人公はこう返す。
…… あんまり楽しくはないです 自分の絵とか見ててつらいですし
でも 何か…やるべきことをやってる気がするので
悪くないです
(メタモルフォーゼの縁側 4巻)
つまりはこういうことなのだ。俺はありもしない義務に突き動かされて液タブに向かっているし、そう望んでいる。もしかしたらこれは、インターネット用法における自己肯定感とか承認欲求とかそうした言葉に押し込められる感情なのかもしれない。でも冒頭のステートメントの通りなのだ。俺たちフィクションオタクには遠く離れあっている個を繋げられる作品という言葉がある。現実オタクの四文字熟語とか五文字熟語ではない、1分〜5分の新作映像という言語が許されている。俺はオタクだからどうしても話してしまう。その言語がたまたま作品という形をとっているだけなのだ。だから、今年もご清聴ありがとうございました。またなんかあったら話でもしましょう。