続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

俺のDMM100冊デッキ

4月12日までDMMで初回購入に限り書籍100冊まで70%オフということになっている。つまりオタクフェスティバル。第一次世界大戦下におけるクリスマス休戦に匹敵する出来事である。タイムラインのオタクはオタク棒(オタクが開発した棒。材料は正論)を地に置き、肩を組んで飲み交わしその後好みの漫画で言い合いになり殴り合ったと言われている。

そんなわけで己の100冊デッキを紹介したいと思う。買ったばかりなので別に読んでもないのだけどまぁ世間から好評を博しているものばかりだと思う。というかKindleでも講談社50%オフが先日やっていたのだが、電子書籍で破産する日も近い。そしてKindleの検索はマジでクソすぎる

 

俺のDMMデッキ(93/100)

ワールドトリガー(現行23巻)

以前20巻まで読んだものを購入。読んだがやっぱり一番面白い

ダンジョン飯(現行10巻)

今読んでる。一番面白い

はねバド!(完結済み16巻)

未読。でも絵が最高に好き

・シオリエクスペリエンス(現行16巻)

二巻までKindleで購入済み。

ゴールデンカムイ(現行25巻)

漫喫で通読済み。でも面白いしな

・Live2dメイキング講座(全1巻)

勉強

ウマ娘シンデレラグレイ(現行2巻)

うまだっち

 

以上である。DMM漫画バトルしようぜ!DMMバトル!!!

感じるというのは素晴らしいこと

bunshun.jp

 

土井善晴先生は食の形式化を防ごうとしていると思っていて、上の記事はそういうことを男らしさの囚われと表現している。それは置いておいて「形式化」というのは退屈さに繋がる。形式はそれに従っていればいいという気晴らしの気晴らしなのだ。それに対して暇と退屈の倫理学では、気晴らしを楽しむ、楽しむ訓練をするということが大事だと言っている。つまりタイトルにした、記事内の「感じるとは素晴らしいこと」というのが料理の形式化へのアンチテーゼとなっているのだ。

たまたま読んだ記事と本の話がつながると面白いねという話でした。

 

最近カスなニュースが多いのでこういう記事ばっかり読んでいたい。動物のニュースばっかりではなく…

暇と退屈の倫理学を読んだ

暇と退屈の倫理学を読んだ。と、言って書物の要約を記すことはここではしない。もちろん論旨の一部分を紹介したりはするけれど。それは本書の結論は、つまり「人間は暇と退屈に対してどのように向き合うべきなのか?」という問いに対する答えは、非常に明確に与えられかつその一つが『暇と退屈の倫理学を読むこと』だからだ。

 

まずこの本の良いところは読みやすいところだと思う。始まりに「本書は通読されることを目的にしている」と明言しているように口調は穏やかで、章が終わるごとに各章の結論、そしてその結論がどのように本の中の論旨に位置づけられるか、それを踏まえて次の章では何を語るかをまとめてくれる。数々の名著からの引用も多くそれらを噛み砕いて解説をしてくれる。とても読みやすくて良い本だった。

そしてその読みやすさと裏腹に語られる倫理、暇と退屈とは何かという話は先史時代を発端にし近現代まで時系列を追って複雑に語られる。個人的には「暇と退屈は定住生活を選択したことによって生まれた」という話は非常に面白くて共感してしまった。自分が旅行が好きだからかもしれないが、放浪したいとか部屋の中でじっとしていられないという話にはうなずくところが多かった(そしてゴミ出しをできないという部分も)。

 

また浪費と消費の違いというのも面白い。常日頃からTwitterソーシャルゲームの悲喜こもごもを眺めている身としては感じ入る部分があったけれど、たしかによく言われる「消費社会ってダメだよね」みたいな言説にさらに踏み込んで語っていてなんというか非常に染み入る。ちなみにその消費の典型とも言える博報堂と著者の対談がこれです

www.hakuhodo.co.jp

 

そしてハイデガーを下敷きにして語られる「暇/退屈である/でない」の形態の分解と再構築も面白い。ハイデガーの分類を鮮やかに展開して「この世はでかい気晴らしでありその中で気晴らしをすることは退屈だ」という結論に至るところは普通に興奮した(暇の反対は興奮だし…)

 

とまぁこれ以上内容は語らないが(語ってるけど)とにかく本書を見ると世の中(Twitter)の見え方がだいぶ変わる。そして驚くほど自分の人生が暇であり退屈であり気晴らしであるという事実が迫ってくる。そしてそれはどうやって生きるかという問題とほぼ等価なのだ。

 

 

ガルパン最終章3話を見た

見ました。ネタバレ記事です。ちなみにどこで見たかと言うとウルトラセンシャラウンドみたいな劇場です。やはりガルパンはいい音で見ないとなので。

 

3話はもちろん2話の知波単学園戦に決着がつく。正直この知波単学園ガルパン内のベストバウトでは?という面白さだった。ジャングル(冷静になんでジャングルでやってんだまじで)内のシンプルな陣取り合戦から追い込み追い込まれ白兵戦、撤退戦とつながる戦いの豊富さ、そこに仕組まれるトリッキーな戦法と戦車たち。西隊長vs西住みほというメインバトルとアヒル殿を中心としたサブバトル。めちゃくちゃ面白い。複雑な戦況も絶対に画作りとセリフで補完してくれるし見やすい。ラストはちょっと抜けた終わりなのだけど、それもなんか良い。

ガルパンはトンチキな味付けが最高で、戦車の夜戦で大合唱なんてトンチキなシーンも何故かうるっとくる。そして絶対的に明るいエンタメであるというところを踏み外さない演出にとても信頼が置ける。肩の力を抜いてスッと享受できる娯楽作。ここで折り返しですが完結まで絶対に見届けたい。

 

老害

なんかいい感じのこと(~という論文でこんな事が言われています)がRTされてきて、でもソースが提示されていなかったのでそれを根気よく探したら1999年の論文でがっくり来た、みたいなことがある。これに限らずネットの話題が10年単位で昔の話を掘り返しているだけというのはよくあるのだけど、とかくファクトなんてことが言われていると「それソースあるんすか」みたいなことをすぐ調べたくなる。で、調べるのだけどこれが果たして『正しい』のかもうわからない。もちろん俺の中では『正しい』行いでオレはオレのリテラシーを守るためにそれをやっているのだけれど、これを規範として周囲に押し付け始めたらそれは老害になるのかなと思う。

 

老害というのは急に出てきた言葉っぽいが、なんかそういうことに引っ掛けた話題を見ることが最近多かった。かくいう自分も仕事場でそういう処理をやっていることが多い。具体的に言うと市井のパソコンスクールみたいなことだ。しかしやってて思うがいずれこれをやられる立場になるんだろうなと言う気もしている。いずれテクノロジーに置いていかれるのだろうと思う。そういう時どういう顔していればいいのだろうか。こういうところにこういうネタを挟むのもちょっと古い。

 

最近麻婆豆腐をよく食べるが、かなり店によって解釈が違って面白い。黒っぽい麻婆豆腐が好きです

エヴァンゲリオン見ました

エヴァンゲリオンを見た。ので、感想というかそういうものをバーッと書こうと思う。この時点で感想を言うならそういうことを書きたくなった、というのが感想として機能すると思う。

留意点としては基本的に新劇のレベルでしか書きません。旧劇付近はかなり曖昧なので…。

 

※この辺からネタバレが含まれます

 

まず、ストーリーの話からするととても良かった。意志とそのアウトプットとしての演出、作劇、画面がとても良くマッチしていたと思った。

おそらくこれほどまでにエヴァというコンテンツが語られている理由は旧劇原作のあまりにもな終わり方というのが大きいと思う(語りたく/受容したくなるという意味で)。その点で言ってしまえば新劇もそこは踏襲していて、それもかなり細かく踏襲している。でも、破綻はしていない。演出をしきっている。そのメタ構造をもコントロール下に置いている。そこがメチャクチャにすごいことで「良かったな~」となる要素だと思う。それを演出力が上がったからと言ってしまえばそれはそうなんだけど、なんというか観客側にもその担い手としての役割があった気がする。

エヴァンゲリオンは「ATフィールド」という仕掛けを駆使してヴィジュアル的に人との関わりを描いている。それはエヴァンゲリオン世界の根幹をなす考え方でなんかそれが人類補完計画的なあれにつながったりもしている(この辺は曖昧)。

そしてエヴァンゲリオンは旧劇の終わり方的に考察、メタ読み的な触れられ方をそれはもうハチャメチャにされていて正直作品後に全くメタ的な視点でない事実のみの考察なんてものはもう見られないような形になっている。エヴァンゲリオンはメタ視点とセットであり、それがエヴァンゲリオンと鑑賞者の関わり合いの大きなウェイトを占めている。メタは作品と作品外の知識を結びつける、いわば「相補的」な行為である。

相補的というワードは新劇でも出てきて、カオルくんがシンジに対して「君は相補的だな」なんてことを言っていた、気がする。でもそれが妙に耳に残っていてこの相補的というワードはやっぱり新劇の一つキーワードではないかと感じた。

新劇もさっき言ったように究極的には楽屋落ちでメタ落ちなのだけれど、それはエヴァンゲリオンと鑑賞者の間では正解の関係性だったんだろうな、みたいなことを鑑賞後に思った。旧劇を超えるという意志が新劇にはあっはずだしそれで同じ(ような)オチを行うのはかなりやばいことだと思うのだけど、それをしっかりと関係性という枠に収めきってやりきっているのがすごい。それは相補性という製作者と鑑賞者の共犯関係を信じられたからこそできたのでは…といや、なんというか多分これを語り始めると全体的に意志というか心意気というか、なんとかインパクトが起こったときのデカ綾波とか絶対にあんな金かけて全国に配給する画面ではないのでとにかくすごい。

 

作画の話。

エヴァンゲリオンくらい絵がうまいともう絵とかそういう次元ではないわけだけど、後半の目の辺りにブラシを掛ける効果をアニメでやるのすごいな-になったし海岸に寝転がるアスカの特殊ブラシ効果がエロすぎるし横顔の涙袋に影を入れる変態作画がすごいし幼少アスカはなんか鶴巻さんだな~という雰囲気だった。

あと爆発が全部すごい。

 

鈴原サクラの話。

まぁ怪文書とか感情を載せやすい感じなのはめっちゃ分かるがあそこでシンジの禊みたいなのを終わらせるキャラとして最高の演出だったしそういう役割がとても優秀だったので良かったです。

 

なんか他にあったら書きます

 

 

 

ふだんづかいの倫理学

『ふだんづかいの倫理学』を読んだ。個人的にはとても良かった。

タイトル通り、倫理というものが普段我々が暮らしている日常の上でどのように適応されうるか(もちろん成立を考えれば矢印が逆だけど)を豊富な例を盛り込み懇切丁寧に教えてくれる本だった。

 

もともとこの本を読んだきっかけは「正義」の章の抜粋を読んだからだった(このことは以前に書いた)。本の中ではこれは社会の倫理として紹介されている。他にも個人、身近な関係を挙げ計3つの領域の中でそれぞれに倫理がどのような形で作用しているのかを考えていく。各領域における倫理とは、社会は「正義」、個人は「自由」、身近な関係は「愛」である。本の中ではこれらの言葉をさらに分類し、更にそれらに対応する倫理も細かく分類してくれる。ありがたいなぁ。

こう見ていると、どれもこれも極端な例が想起される言葉ばかりだなと思う。そう、これらについて一人で考えているとどうしても極端になっていく(本著ではその極端さがそもそも思考の方向性が違うことに起因する、みたいな例も挙げられているが)。それを極端でなく、確実に推し進めていくための一助がこの本だと読後に思った。

社会にしろ人間の関係にしろ、問題は山積している割に全体像がつかめず、例えば「この山をなんとか乗り越えて見晴らしのいい場所に行きたいけれどどうやって登れば良いのか、最初の一歩目はどこに踏み出せば良いのか全くわからないなぁ」ということが多い。もちろんいろんなコースはあるのだけど「どうにもうさんくさい」というルートが無数に設定されている(SNSのアイコンに国旗が書いてある人ルートとか、トレンドワードにひたすらハッシュタグつけて『こんなに稼げました』という言葉とともに札束の写真を上げている人ルートとか)。

そんな時、「このルートは確実に山頂につながっております。途中までだけど。あとこの道ぬかるみがやばいけど」というのを教えてくれるのがこの本なのだ。途中まで、というのはもちろん山頂が1つでなく人に応じてそれぞれの山頂があるから(山頂って例えが良くない。~合目でいいですか)で、ぬかるみというのはこの道が格段に思考力を要求してくるからだ(本読んだのにたとえで説明するバカさ!)。でも確実に前に進める道なのだ。それを選べるか、選ぶかどうか考えられるかどうかが大切なのだ。

 

何が言いたかったのか忘れたけど、とにかくいい本なのだ。最後に本を読んでよかった例を1つ。

3.11で奥さんを失って意気消沈していたおじさんが町内会のみなさんとのふれあいで笑顔を取り戻し最後には村の祭りのたいこを力いっぱい叩く、みたいな映像を最近見た。そしてこのVに「良かったね」でなく「これはあれだ!」と思えるわけである。おすすめです。