続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

日記(吃音・荒れ)

某日

吃音が復活しつつある。吃音というのは、定義はよくわからんけど自分の現状で言えば喋り始めの最初の一音がとにかく出てこないというやつだ。口の中だけが「あ」の形になって空気が一切出てこず、脳の中で「あ」が渋滞を起こすあの感じ。何なんだろう。

思えば小学生の頃は結構この症状が出ていて嫌だな〜と思っていた記憶がある。しかしそれ以降あまり発生しなかった。それがここに来て復活し始めている。電話取ったときとかに謎の間が生まれてしまう。人に話しかける時謎の間が生まれてしまう。この身体のどうにもならなさは運動音痴とかとは違う悲しさを秘めている。身体と脳の命令が一致しないこの悲しみはいわんや障害を抱える人の何千分の一に過ぎないが、逆に考えるとその途方もなさを思ってしまう。これを克服したいとか思っているわけではないが、支障が出ないように生きていきたい。心因性のものであれば今すぐ仕事場を爆破すればいいだけなので気が楽なのだけど。

 

味噌汁を強火で殴る人を見た。インターネット空手がなまじ強くなるといろんな物をインターネット空手で殴ってしまうモンスターになるのでああいうツイートをしてしまうんだろう。あれはもう自我を失ったアカウントで、言葉を喋らされているにすぎない。言葉の、論法の借り物になったアカウントに掛ける言葉はない。

 

教養についての話題は常に燃えている。多分教養というのを頭の良さよりもっと有機的な脳内でのそれらの絡み合い、つまり人格だと認識している人が多いからかも知れない。馬鹿だね、より教養ないね、のほうが自分のみならず自分の育った環境や人間関係までもを射程に入れた悪口に思えるのもそういうことなのかも知れない。これに関してはやっぱり、教養を身に着けようという姿勢がただ尊くてそういうのはだるいからリスキリングコンソーシアムとかがあったりする。人は知りたいのに知るのが面倒だと思っている。あーあ。

 

某日

友人2人とディスコードで4時間話す。インターネットについて。そこで、会話している我々に聞き専だった別の友人が「大荒れ」という言葉を使い一斉に3人が「荒れてねぇよ」と言ったのが面白かった。長文で長々と話しているだけでマイナスに取られたり敵対的だと思われる文化は本当に悪なのでちゃんと助詞と副詞を使って丁寧に普通のことを言ったほうがいい。ちなみにこんなに話したのは誰も自分の考えを曲げようと思っていなくてその割に人の話を聞いて整理したりするのが好きな人達だからです。良かったね。