続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

インターネットの大喜利化

PRESIDENTが吉野家の元CEOの失言に対してカウンター的なノリで精神科医の語る記事を掲載している。

が、この記事のヒキは失言に使われた過激な言葉(ここでは書きませんが…)が見出しに出ていることであり、それって結局同じ言葉使って客寄せパンダしているわけで失言と同じ穴の狢じゃん(パンダなんだかムジナなんだか)と思う。PRESIDENTってあまりいい記事が載っているイメージがないのだけど…まぁそれはそれで。そして話は言葉の使い方へシフトする。

このニュースがあってから過激な言葉を揶揄するようなツイートが多くみられて、へなへな~となっている。インターネットは昔からそういう言葉を揶揄して使っているんだからインターネットがとやかく言うなという意見もある。俺はインターネット田インターネット男という名前ではないのでけーっと思っているけど、揶揄とかそういうことって「上手い事言ったろう」精神が引き起こしているんじゃないか。もとはと言えば過激な失言だって「上手い事言ってやった」というサービス精神が元かもしれない。そのサービス精神が時代にそぐわないと事故っていく。

「上手い事言ったろう」精神はTwitterのかなり大きな原理だと思う。インターネットにおいてテキストデータが主流だったころ。2chが華やかだったころはインターネットの原理でもあったと思う。今でも残るコピペ群がその記念碑だろう。話は戻ってTwitterのコミュニケーションはテキストベースであり、Twitter上のコミュニケーション力はテキストの威力(パワーワードなんて言葉もある)なので、140字で多くの情報をユーモラスに表現する「上手い事」力がある人(アカウント)が端的にコミュニケーション強者となりやすい。Twitterは「上手い事」をいかに言うかというゲームも内包している。それは多くの人がプレイしているゲームだ。

Twitterの「上手い事」は斬新な切り口で発想の飛躍がされていることが求められる。つまり大喜利だ。インターネットは大喜利が強い人間が輝ける場所となっている。でもみんながみんな大喜利が強いわけではない。でも大喜利が弱い人もインターネットでコミュニケーションしたい。そうするにはネタを再利用するか過激な言葉を使うかしかない。再利用されたネタは「実家のような安心感」を感じさせるし、過激な言葉は耳目を引く。反応をもらうにはうってつけだろう。この場合反応は玉石混交で構わない。罵詈雑言も誉め言葉も一つの反応だし。そうして過激な言葉はどんどん使われていき、インターネットはそれらを呑み込み不感症になっていく。そうして過激さが閾値を超えた時、それは社会問題となる。そういうシステムが失言のような、社会的にありえないミスに起こっているのではないか。確かこの問題にも最初「発言者は場をなごまそうと…」みたいな擁護の発言が見られた気がする。場を和ますとかアイスブレイクとかそういう気を利かせる場が一番危ないのだ。

「上手い事言ったった」の事故を避けるためにはどうすればいいのだろう。多分一つは誠実に説明することだ。上手い事は短歌のように意味が圧縮されている性質を持ち多義的であればあるほどよいとされる傾向がある。しかし多義的であることは「ツッコミどころ」を増やしかねずひいては意識しない拡散の際に火元を増やすこととなる。やはり少し長くても言葉を積み重ねていくしかなく、それは受け取る際もそうなのだろう。Twitterくんは最近記事などをリツイートする前に「ちゃんと中身読んだ?」と言ってくれるがそういうことなのだ。言葉を積み重ねていくことと対話をすることが大事なのだ。分断?そんなものは常にあるのだ、って國分功一郎も言ってたし。面白くない。センスのない我々に残されたのはそういうコミュニケーションだ。