続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

毎日と日々

毎日を過ごしているが、日々を過ごしている実感はない。これは物理的な時間と感覚的な時間の問題でもある。

毎日というのは暦通りに運用される時間であり連続性は希薄だ。一時間、八時間、二十四時間。時計の針がたまたまそのスピードで動くが故に作られ管理される毎日。

日々には連続性がある。今過ぎゆくこの時が過去のあの時と繋がっていること。そして未来へと続いていくこと。この日々において時の進みは容易に早まったり遅まったりする。日々は幅を持つ時間だ。

基本的に仕事は『毎日』行われる。時間は運用するもので、効率を算出する際の分母にすぎない。そして仕事の毎日は積み重ならない。仕事はタスクをこなすことで、今日行うタスクはどう考えても昨日より進んでいて過去の形跡になり得るのだけどそれは「タスクが進んだ」事実でしかなく「私が過ごした時間」とは程遠い。

では仕事以外はどうかと言うと、やはり『毎日』的だ。楽しい情報がSNSで更新されイベントが行われる。ゲームのスタミナは俺達の余暇を回復時間として消費していく。漫然としていようものなら「推せる時に推せ」と言われ尻を叩かれ、人生の瞬間における最大娯楽量を注ぎ込めと言われる。

切り刻まれた時間の総量が毎日である。私の最近はカレンダー通りのもので、全く日々ではなかった。

そこでなんとか、日々を過ごしたいと思う。『恋人は一緒に歳を取れる』という言葉を見て日々だなと思った。年齢という数字を思い出に変換する幅を持つ時間間隔こそが日々だと思う。日々はその中にある行為の過去と現在を同時に体感させてくれる。私にとっての絵を描く行為はそれに近い。

こうやって書いていても何が日々なのか、何ならなんで急に日々の話をしているのかわからない。でも今漫然と、日々を過ごしたいと思っている。楽しくなくてもいい。時間の流れをちょっとでも感じたい。その一心です。