続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

日記(焼肉食べ放題・misskey)

3/18

前日に友人から焼肉食べ放題の誘いがあったので昼に駅に向かう。

集合時間まで間があったので、フードコートでコーヒーを飲んで勉強していると隣のおばあちゃんが話しかけてきた。

聞くと今マックではポテトのサイズアップが無料で行われていて

サイズアップしたけど多すぎて食べられないからたべてくれない?ということだった。なんのことはないわんぱくおばあちゃんだった。

しかし今から焼肉食べ放題なので…と断るわけにもいかない。笑顔で受け取ってポテトを食べた。かくして友人と合流した際そこそこお腹はいっぱいだった。

焼肉食べ放題は若さの象徴なので、店にはいかにも春休みを満喫している若年層しかいなかった。その中でおもむろに酒を飲み肉を焼いて食べる。

なんだか全然お腹に溜まらない。質の問題なのかなんなのか。とにかく食べつつ喋っていると話の流れでボーリングをすることになる。

2時間半後、焼肉店を出てボーリング場へ。10年ぶりくらいのボーリング場はやけにうるさかった。

これまた若年層だらけの隙間を縫ってレーンに立ち、15ポンドの玉を投げる。手首への負担と胡乱な投球フォームから意味不明な軌道が生み出される。スピードが無い球は6ピン位を倒すのがやっとだ。

二人でかわるがわる投げていると、1ゲームが終わるころには楽しさより疲労が勝っていた。周囲のレーンの若人は意味わからんフォームで剛速球を

投げて爽快感を楽しんでいるのにこちらには爽快なほどの球速もない。周りを見渡すとボーリング場には所々にゲームの筐体が置かれている。パンチングマシーン、バスケットボールを投げるやつ。すべてのゲームが体力を削る形をしている。ボーリング場はとんでもない所だ。結局2ゲームを投げ這々の体で退散した。

その後サイゼリヤに入り5時間ほど喋る。5時間!でもそんなものだ。学生の時なんてずっとこうだった。変わったことは会話の内容が自分たちのことからもっと大きな話題になったことくらい。未来とか意義とかそういうことをデカンタを空けながら話し続ける。あるブログで、学生の会話を『語り得る内容に対して膨大な時間がある』と表していた。今や俺たちに時間はなく、効率的に話伝えることばかりが求められる。わかりやすく、簡潔に。学生の頃はそんなことは考えなかった。話は常に脱線し荒野をひた走り一瞬空を飛んだかと思えば泥沼に沈んでいくものだった。そういう話の運動自体が目的だった。流石に胡乱になる会話の内容をなんとか繋ぎながら、そんなことを思っていた(そもそもTwitterを見られている人と半日以上を一緒に過ごすと話題が尽きるのは仕方ない)。

解散後別の通話で話して寝る。

 

3/19

家で作業。もくもくと締め切りもない絵を描いているとこれが浪費だなと思う。

https://wired.jp/membership/2023/03/15/kokubun-dominique-retreat-dialogue-1/

リトリートという文脈はよく知らなかったけどこの対談は面白かった。必死にバカンスをして休みを消費すること。グランピングとマインドフルネス。楽しみを楽しみ尽くす手段が絵とかいう手軽な手段で実現できるのは良いと思う。で、できた絵をmisskeyに投げる。

misskeyの詳細は分散型SNSで色んなサーバがあること。その中でも大きいのが.ioだということ

くらいしか知らない。TLにちょろっとTwitterの避難先として流れてきたので登録をしてみた。

 

使っていてもSNSとしての質はよくわからないけれど、確かにtwitterとは雰囲気が異なる。

というか、Twitterが変なだけなのかもと思い始めた。

「TLの潮目を読む」という言葉がある。これはTLに流れる膨大な、刻一刻と変化する情報を見極め適切な時に適切な投稿をするという行為を指す。

ここで使われる適切というのは法的な意味ではなくTLの要請する、という意味だ。

つまりTwitterで呟くことは自分の心のうちの表現ではなく有象無象のアカウントに何かしら配慮し意見を取捨選択した結果を書き込んでいるに過ぎないということだ。

これは受け売りだが…実際ちょっとこの雰囲気はわかる。俺は500人くらいをフォローしているが、実際Twitterが推奨するおすすめ欄はフォロワー以外のアカウントも表示するのでフォロー数には意味がない。フォロー数以上のアカウントの様々な投稿を見ていると流行りすたりがなんとなくわかってくる。恐ろしく速い流行り、俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

で、今のところmisskeyにはこの潮目が存在しない。実際Twitterから人が流れてきた初期は与謝野晶子レターパックなどの面白ワードが頻繁に繰り返されていたが最近は落ち着いてきて

いる。LTL(.ioの全ユーザーの投稿が表示される場所)ではMAX8000人ほどの投稿が流れている。

それらに規則性は存在しない。このぶつ切りの投稿の距離感がなんだか心地よい。

そんなとこに絵を投げてぷつぷつと返されるリアクションを見ていると本当に10年くらい前のTwitterを思い出す。当時は500RTもされたら全人類が俺の投稿を見ているような錯覚に囚われたものだった。

仕事に備えて寝る。