価値観である。変わるのは。世の中では常に価値観が変わっているのだけど、価値観が変わってそこから何が変わるのか、というのが大事なのではないか。
ほいほいと価値観を変えればいいという話ではなく、君がその『価値観が変わる』といったそれは個人の価値観よりも大きいものが潜んでいるのではないか?そういう事を考えている。往々にして文化とかそういうものが潜んでいるのではないか。個人の価値なんて歯牙に賭けない圧倒的な価値がそこにあるんじゃないか。
保坂和志の著作がここ数年断続的に人生に関わっている。
というのも、最近保坂和志『小説の自由』を読んでいてこれはかなり面白く人生の一冊となりうるぞ、と興奮していた時「いやこの著者の本読んだことあるぞ」となりよくよく考えたら2、3年前に同じ著者の『遠い触覚』という本を読んでいた。そしてそのときも同じように興奮していたことを思い出した。
人生で全く気づかずに同じ著者の本に別角度から到達するというのはなかなか稀有で(もちろん意図して著者買いするということはあるけど)、ここで『何故保坂和志を読む(読んだ)のか』ということを考える必要があると感じた。その核はここ数年の自分を悩ませた問題にかなり近接しているのではないかと考えられるからだ。
何故読んだのか。それはインターネットで見かけたからだ。ここ数年、あまり本屋にも行かず図書館にも行かず、Twitterばかり見ている(良くない)。そしてTwitterには時折言葉の断片が流れる。それはネット記事だったり刊行物だったり個人の言葉だったりする。そして言葉の断片は断片では意味をなさずその文脈において言葉を発揮するという事は馬鹿じゃないので私にもわかる(これは攻撃的な文章だ。大学教育の一コマめで言う『一次資料に当たれ』に意味は近い)。言葉の断片だけを流すキュレーターアカウントに用はないのでわ引っかかった言葉の断片があったらその都度元ネタを探すようにしている。その中でたまたま保坂和志の文章があったのだ。そしてそれが2度起こった。これが何故保坂和志を2度も読んだかの真相である。
では何が引っかかったのか、まず『遠い触覚』の方から紹介する。
リンク先が全てだけれど(リンク先の保坂和志に関する文章はだいたい全部良い)、この遠い触覚というのは「インランド・エンパイア」という映画を延々と見てそれに関する事が延々と書かれている。「インランド・エンパイア」を見ていなくてももちろん面白いけど見たほうが面白いと思う。私は見ていない。そして、記憶が正しければ『遠い触覚』を私が大学のときの講義で取り扱ったことがある。そしてそれはこの、1つの作品を延々と見て語るという方式についてのことだった気がする。きっと宮沢章夫の「時間のかかる読書―横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず」に関する講義だった気がする。実際私は宮沢章夫が講師をしていたときの学部に属していないので直接指南を受けたわけではないけど、そんなような曖昧な記憶がある。何が言いたいのかと言うと保坂和志との縁は結構長くからあったということだ。
『小説の自由』について何が引っかかったのか詳しくは覚えていない。
まぁとにもかくにも、引っかかったのかいいのだけど何故保坂和志なのかを考える必要がある。
『小説の自由』は小説と題しているがその実すべての創作に適応される事柄も書いてある(文中で作品の印象の一覧性の対比として絵画と音楽と小説が出てきていたり、適応されない内容も多々ある)。主だって作者は小説の現在の社会的地位について不満があり、それを乗り越える術を書いている。『言葉の外へ』でも出てくる表現を使えばそれは「読書という魂の駆動」ということだ。読書は情報の一方的な受け渡しでなく、作者が書くこと、読者が読むことが両輪となって駆動する能動的な働きであるということである。作中で笑ったがこれは「スポーツカーは早く走る機能を持っているが、『早く走る機能を持っている』と思いながらスポーツカーを見て満足する人間はいない。やはりスポーツカーは早く走る駆動を見せてこそであり読書もそれである」という例も作中には出てくる。
(この記事は途中です)
あけましておめでとうございます。
なんやかや2021年になりました。全てにおいて光明が射す感じはないですが色々仕方ないな、と思いつつ今年の抱負。
去年の見たら良いこと言ってました。さすが自分。
今年は3次元のオタクになろうと思います。ここでいう3次元というのは現実のことです。現実から得られるものを得ていきたいなということです。それは感覚的なものだったり実益だったりするかもしれません。はたまたクソみたいなことかもしれませんが自分が3次元の住人であることを理解して過ごすということ、これが目標です。オタク性はもう仕方ないのでこれに折り合いをつけて行こうと思っています。
曖昧な言い方ですがこれに立脚した物事がいくつか始まっており、いずれ結実する予定です。その際は喧伝するのでよろしく。
今年はステイホームということもありいつもより多くの作品を摂取した…ということは特になかった。正確には、少し多かったがステイホームが理由ではないということだ。単に色々と見えるようになったということだと思う。興味が拡張していくというのは良いことだし、それを否定することは(大概は)許されない。閑話休題。だから「オタクは~にハマりがち」「この年代は~にハマりがち」という趣味を揶揄するような発言は基本的に嫌いだ。なんであれその人が行動をしている時点で偉いからである(ここに動機というファクターを持ち込むとややこしい(例:モテたくてギターをやる)が、それでも良いと思っている)。閑話休題終了。
ざっくりと今年のトピック。
◯漫画面白い
漫画が面白い。「僕の心のヤバイやつ」を筆頭に「チェンソーマン」「呪術廻戦」などネットで話題の漫画を今年は読んだがどれも面白かった。自分は描くくせにあまり漫画を読まないのだけれど反省してもっとちゃんと漫画読みます
今年見た映画
・犬ヶ島
・メイドインアビス深き魂の黎明
・パラサイト
・イップ・マン
・タイラーレイク
・イップ・マン2
・ワイルド・スピードEURO MISSION
・レオン
・ワンピースオマツリ男爵と秘密の島
・ワイルド・スピードSKY MISSION
・キャビン
・若おかみは小学生
。ミッション・インポッシブルローグ・ネイション
・マネー・ショート
・JOKER
・TENET
・82年生まれキム・ジヨン
・劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン
・羅小黒戦記
◯今年見たもの
・ストレンジャー・シングス3
・クイーンズ・ギャンビット
・映像研には手を出すな!
◯今年読んだもの
・僕の心のヤバイやつ
・天冥の標
・獄門島
・無能の鷹
・水野と茶山
・ネムルバカ
・外天楼
・チェンソーマン
・呪術廻戦
・僕とロボコ
・銀河の死なない子どもたちへ
・インスタントバレット
・少女庭園
・忌録
・ハーモニー
・小説の自由
お題「#買って良かった2020 」
スピーカー
音楽が好きであるとは言えないが聞いている時間だけなら長いといえる。家では常に何かしらを流しているので音の良さはQOLに直結するのだ。というわけで1万円くらいのスピーカーを買った。詳細は別記事に。
確かに音は抜群に良く外見もおしゃれだ。まぁ発送時にパーツがないとかがありメーカーと2、3度やり取りをしたがそんなことはよくある人為的なミスなので責めない。いい音が聞ければそれでいいのだ。あと配線時に付属ケーブルが微妙というインターネットの意見を読み、ケーブルは新しく買った。こういう微妙な追加出費があるのもスピーカーのめんどい部分だ。
ワイヤレスイヤホン
理由は上記と一緒。詳細も別記事に。
確かに外で踊れるという点でとても良いが、使っているうちに正直耳から落ちたりはする。そのせいかちょっと癖のある動作になってきていてまぁそれは使用者が全部悪いので何も言えない。製品はとてもいい。色もかっこいいし。
ヘリーハンセンのマウンテンパーカー
己の誕生日プレゼントである。良いアウターを初めて買ったが良いアウターは良い。
着た時の服のしわの感じやシルエットが抜群なのだ。これには使用者のルックスは関係なく単純に服の力である。長く愛用したい。
海外旅行
これはモノではないが…別記事ではコンテンツのことをしゃべるのでここに入れておいた。だって今年一番高かったし…。振り返ればぎりぎりのタイミングで行っていた。あと2~3年は海外旅行には行けないだろう。プラス一人での長期旅行というのもよかった。鴻上さんの本を読んでいて、『本当の孤独を感じるためには1週間以上一人でインターネットを絶って旅に出るのがいい』と書いてあってそういう意味では本当の孤独は感じられなかった。Twitterしてたしなんならディスコードもしたし。でもやっぱり早朝便に乗るために一晩を空港で過ごした時なんてのは孤独で、とても良かった。またいつかあの雰囲気を味わいたい。
以上です。
脱毛をした。都内の車内広告の4割を占めるというアレである。脱毛をするという事は体毛に何らかのネガティブな感情を抱いていることの証拠でもあり、自分のそれが何かというと学生時代授業中寝る時に腕を枕にして寝る体勢を取ると腕の毛がふわふわして鼻孔をくすぐり寝にくいという一点に尽きる。そもそも社会人はそんな姿勢で寝ないし。結局、脱毛のきっかけというのは誕生日付近に届くダイレクトメールだったのだ。500円なら散髪のついでにやっておこうかな、なんて軽い気持ちである日エステサロンに向かった。
メンズサロンの受付で問診票を書きながら待機していると二人ほど常連客らしい人達が入ってくる。そもそも脱毛は一日にしてならず、何回も通って毛を根絶していく長期的な治療なのだ。意外と美容脱毛(主にヒゲの脱毛)はカジュアルに行われてるなーなんて思っていると、脱毛体験の説明が始まる。
体験プランの説明を聞いていると、なんだか違和感があった。体験ダイレクトメールには「スーパー脱毛プラン150本できます」と書いてあるが、そもそも脱毛の方法には2種類あるらしい。片方はレーザー脱毛、もう一つがスーパー脱毛である。スーパー脱毛は毛穴を電気で焼くという体毛根絶の度合いが高い脱毛法であり、痛いらしい。痛いのは嫌だからレーザー脱毛にしようとすると、それはダイレクトメールの対象外だと言う。しょんぼりだ。結局毛穴を電気で焼かれる刑(古代中国にありそう)に処されることになった。手術台に寝かされ、腕にひんやりとしたジェルを塗られる。「チクッとしますからねー」という言葉とともに髪の毛くらいの針が毛穴に挿入される。
痛!!
いや、注射ほど明らかな挿入感はないが痛覚は明確に反応している。我慢できないほどではないが身構える必要のある痛みである。狼狽する私をよそに施術は続く。焼く前の肉にフォークで穴を開けるような気軽さで毛穴が焼かれていく。10回ほどそれが繰り返されたあと、サロンの人が言う。
「これくらいならアフターケアがいりませんが、ここでやめますか?」
ダイレクトメールの効力をフルに発揮すればあと140個の毛穴を焼くことができる。私は静かに微笑んで「やめてください」と言った。
かくして10個の毛穴が焼かれた。帰り道、ふとボボボーボ・ボーボボの世界観を思い出した。あの世界では毛狩り隊という無法者がのさばっていた。当時は笑っていたが、今なら理由が分かる。毛穴を焼くのは痛いからだ。少し毛が減った手の甲を冷たい風が撫でていった。