続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

めちゃくちゃ雨が降ってるとこがあるようだ。雨は嫌いではない。雨が降ってきてみんな傘さすけど冷静に何なんだと思っている。濡れてもいいじゃん。

まぁさておき雨が降ると決まってあることを考える。それは行ったことのある土地に雨が降っている風景だ。京都でも別府でも北海道でもパリでもいいけど、そういう土地に雨が降っていることを考える。雨粒が植え込みの葉に落ち排水口がゴポゴポ鳴る様や石畳のくぼみに水が溜まる様を考える。そうするとなんか、訪れた土地をより身近に感じたりする。

SFが面白い

今週のお題「SFといえば」
SFは好きだ。ここ何年かの趣味のメインコンテンツと言ってもいい。それより前、学生の頃はSF読みたいな〜と思っていた。多分日本のSFというものがあまりわかっておらずなんとなく敷居が高く感じていたのだと思う。
それがどうだろうか?今なぜ俺の興味の中心にSFがあるのか?それはSFの「突破力」にあるんじゃないか。
言わずもがな現代において国単位で地域単位で信じられる「大きな物語」は存在しない。
様々な価値観や倫理観が唱えられその発露として行われる行動は千差万別。立場は流転し信条は移り変わる現代は分断というよりも全てがボーダレスな融解の時代だが、その現実をときに爽やかにときに愚直に突破する物語がSFには見られる。突破というのは難しいが…例えば閉塞感の中目にも留まらぬ速さで何かが目の前を横切る。それが何かは分からないが、それを追った俺の目線は今まで愚鈍に見つめていた真下ではなく明後日の方向に向けられる。その視点の転換を、物語自体の意味だけではなくそれを味わったあと異なった視座を獲得すること、それを今「突破力」と呼んでいる。
その突破の仕方は様々だ。緻密に積み上げられた理論で日常の裏を暴いたり、はたまた荒唐無稽な設定を持ち出して全く別個の世界を描きそこにひとつまみの現実を入れてみたり。手を変え品を変えSFは非現実的な物語を描き、読者に非現実的な目線を与えてくれる。それは素敵なことなのだ。
ウダウダ言ってないでおすすめを貼っておこう。それこそが最善だから。
「掃除と掃除用具の人類史」松崎有理(『異常論文(樋口恭介編)』収録)
www.hayakawabooks.com
『異常論文』から1編。日常を鮮やかに読み変える視点が素晴らしい。読みやすいのでおすすめ。
「人間たちの話」柞刈湯葉(『人間たちの話(柞刈湯葉)収録』)
www.hayakawa-online.co.jp
柞刈湯葉はかなり外れない作家だと思っていてこの短編集はどれも素晴らしいけど特にこの表題作は素晴らしい。俺はこういう話をSFにもとめている節があったんだと読み終わって気付かされるスケールのお話。このあとに『宇宙ラーメン重油味』を読まされるのもまたいい。
「死んだ恋人からの手紙」中井紀夫(『日本SFの臨界点-山の上の交響楽-(伴名練編)』収録)
www.hayakawabooks.com
これは表題作もいいのだけど最後の1編を。作中で語られる死生観、手紙というツール、SFのタイムワープの設定、3つが重なり合った素晴らしい短編。何度読んでも良い。

とりあえず短編を3つ挙げてみた。俺は結構SFは短編が入りやすいと思っていて一つは内包される物語の豊富さが理由だ。いっちゃあ数撃ちゃ当たりやすいジャンルだと思っている。さくっとみなさんもトライすることをおすすめする。そして願わくば天冥の標を全巻読んでください。

#chelmico #gokigen豊洲 に参加した

chelmico gokigenTOUR豊洲PITに参加してきた。

chelmicoとの出会いは「映像研には手を出すな!」のOP、EasyBreezyだった。日本語ガールズラップというものに触れるのはほぼ初めてで、そこからYou Tubeなどでぐいぐいとハマっていった。友人たちと乗る車でもパワープッシュしたし大童澄瞳とのOP振り返り動画も見た。ああいうのいいよね。バーチャルライブもちょっと見た。「maze」が本当に名盤なのでぜひ聴いてみてください。

という経緯があり春にライブが告知されて応募し無事9列目をゲットしたのだった。

当日仕事を切り上げ豊洲に向かうと東京湾に浮かぶ夕日が美しかった。豊洲PITに行くのが初めてだったので入場時ドリンクを買うのに驚いた。そもそもこのくらいの規模のスタンディングライブって初めてだった。chelmico最大キャパらしいけどなまじアリーナとかメッセしか体験してこなかったので、9列目に座ると会場の一体感とステージの近さにビビる。グッズを買い、いざライブが始まると…すごいのである。なんというか実在感がある。メッセのPerfumeは豆粒だったのに、二人の服の皺が揺れる髪が分かる。ファン層は多分平均は俺より下だろう。カップルも多かった。普通アーティストのライブってこうなのかな。分からない。セトリへの感想は以下。

 

RollerCoaster
一曲めに聞くと色々展開してて好きだった。ちょっと悪い音がしているのもノりやすくて良い。
Disco
この曲好きです。キャンプ中に踊ったことがあります。右に左に〜のふりつけもかわいい。
HoneyBunny
初期の曲だけど好き。なんにもしたくないよーって間奏に叫ぶRachelがよい。
質問コーナーなど。俺は好きなアーティストのファンクラブに入らない人間なのであまり普通に話してるとこを見たことがなかったけど良かった。ゲラゲラ笑っている二人はいい。暗転明けにスーを差し上げるポーズを何回もするのいいですね。本人たちよりいろいろな角度をやってくれるし…。俺は生でダイアンを見たことがあるけどダイアンのスーを差し上げるポーズは見たことなかったので助かりました。お笑い好きのまみちゃん(ここではこう呼びます)がユースケのほうしてるのもいい。マユリカ気づかなかったな~
moderation〜三億円~O・La
治安悪い三曲。ぶち上がる。三億円もオラも振りがちゃんとあるぽいはじめて知った。でもMCでも言う通りやってみると楽しいよ。
bff
好きな曲。ライブで一番好きだったかも。ロックバンドのアンセムのような爽やかさと心地よさ。Rachelのサビのシャウトが気持ち良いのよ。
Premium・夏mansion~ISOGA♡PEACH
ノンストップつなぎかと思ってた。でも並ぶのは納得の2曲。イマジナリータオル回した。もう夏ですね。
EasyBreezy
代表曲ですね。これは踊れました。映像も最高だから映像流してくれても良いのよ
Meidaimae
トーフのビーツは最高。以前のMVもぜひまた公開してください…
Love isOver
これはコールしたい曲。アンコールにふさわしい

 

とまぁこんな感じです。chelmicoライブのドライなウキウキ感というのはなかなか得難い経験だと思うので、また機会があればいきたい。

良い席だった

 

日記(GINZA SIX・芋)

7/16土曜日
起きる。お昼は家族で外食なので銀座に向かう。外食5分前にファミマでコーヒーを一気飲みする。もうコーヒーを午前中に飲まないと目が覚めない体になってしまった。お昼はおいしかった。銀座なので。ランチが5000円くらいだった。先日ライブ後に土風炉で一人5000円くらい飲み食いしたことを反省した。家族の似顔絵を描いたらアプリ加工だと思われていたことが発覚。まぁアプリってすごいですし。AIが描いた絵みたいな。ちょっと銀座を見て回る。ある和菓子屋から抹茶のにおいが漂ってきて驚く。そういうのお肉屋とかで起こるやつじゃないのか。和菓子屋の換気扇から漂う抹茶の匂いでどら焼きを食べるみたいなことじゃないか(そうか?)。その後解散。ギンザシックスの蔦屋書店へ。アートに振り切っている品ぞろえが鼻についた(なんてこと言うんだ)。でもギンザシックスは鼻につく施設なのでそれはしかたない。その後帰宅し作業。夜はジオゲッサーで遊ぶ。世界のどこかにランダムで飛ばされ、場所を当てるゲームだ。看板のドメインから国を絞ると効率がいい。こういうゲームは時間が溶ける。海外の道にはどれも名前があるのに日本にはないのでかなり難しい。5000点満点で4回4999点をたたき出すも5回目で撃沈。うあー。旅行に行きたい。あと夏コミ新刊の感想会をする。褒められると嬉しい。

7/17日曜日
ずっと作業。途中で近所のお菓子屋へ。おいしかった。作業中ラジオを聞いていて、東京03のラジオが結構よかった。あとマユリカの下ネタ回もよかった。ハライチのターンもコーナーをちょいちょい聞いている。ハライチのあるあるは強い。真空ジェシカポッドキャストもつまみ食いしている。赤ちゃん結婚という文字列は見返すとおかしいよ。
ギャッツビーの油とりがみを買った。顔の皮脂がいやなのでなんかUNOのオールインワンの肌に塗るやつを塗ったり塗らなかったりしているが、やっぱり皮脂が目立つ気がするので購入した。ものとしてはもう紙ではなくフィルムだった。効果はまぁ比較対象がないのでなんともだけど元が黒いので面白いのと、1枚ずつフィルムを取れるようにしてあるとか、ごみを入れる空間があるとか工夫に飛んだ商品だった。こういうのをえらいと思っている。ボトルガムにガム包む付箋みたいなのが付いているのと同じだ。300円しないのにえらいね。

7/19月曜日
ずっと作業。
ボンディを食べる。あの芋が付いてくるカレー屋だ。洋風カレーでおいしかった。中辛でも辛くない。1500円はおいそれとは出せないけど。


7/20火曜日
週末のchelmicoライブを発券。9列目ってめちゃ前じゃない?
友人らとディスコード。スパイファミリーは乱暴なまでに緻密で面白い話。学パロが廃れない話。「ブランクスペース」を友人がお勧めしていてうれしかった。百合文脈かどうかは疑問だが面白い。
この通話は関係性が薄い人もたびたび来てくれるので部室みたいで楽しい。最近「電話が暴力的なコミュニケーション手段だ」という文字を目にした(昨今のインターネットは話題が多いし空焚き(身内での複垢で炎上させることをこう呼んでいます)も多いので『話題になった』ではなく『文字を目にした』というのが正確だ)けど、そのうちオンライン通話で顔を見せるのも暴力的とされるのかもしれない。いきなり出会うのではなく音声のみオンライン通話&チャット→リアル対面、みたいな人間関係が俺は楽だと思っている(オタク界隈はこんな感じが多い)。

言論と暴力の対立

『言論と暴力の対立』と言うのは事件当日の夜のニュースで言われているフレーズだ。

それを見て、「そうなの?」と思った。

まず、暴力と言うのは事件そのものに暴力性があるのでそれはそうだ。

では言論とはなんだろうか?対立というくらいなんだから暴力の矛先が言論だってことなんだろう。しかしこのニュースの時点では容疑者の動機はまだ伝えられていなかった。なので暴力の矛先が言論だったとは断定できない。では凶刃に倒れた(この表現には凶刃も凶弾もある。親切だ)個人が言説のアイコンだったということなんだろう。それは一国の長だった人間だ。生前はめちゃくちゃ言説を操って国を動かしていただろうし、動かす座につく前だってその言説で持ってしてその座を得たのは間違いがない。

ただそれ以前に個人は人間であり、死という事実の前にはすべてが意味をなさない。ここにあって行うべきは、悼むとか偲ぶとかそうでなくても死という結果を見つめることなんじゃないだろうか。ちょうど選挙という言論が最も激しい時期に起きた事件ということもありこういう二項対立が強調されたんじゃないかとニュースを見ながら考えていた。

それから4日ほど経ち、まさにこの言論は暴走している。様々なレイヤーが現実とネットを跋扈しもう何が何やら分からない。その中で事件の動機に宗教の問題が絡んでいるということがわかった。これはおそらく事実だろう。では最初に言った『言論と暴力の対立』というのはなくなったのか?そんなことはなく政治家は「遺志をついで…」と言っている。ここに対立構造は存在する。言論、信条、暴力…テロリズムのテロたる構造がこの事件には詰まっていて、なんだか手を出しにくい。周辺でやんややんやと言っている感じがする。そしてこの情報の速さが現代的だとも思う。もっと昔の偉い人ってのは国が喪に服して華々しい経歴を語り合う、みたいなじっとり浸透していく死のあり方をしているのだと思っていた。でも当時もこんな感じで、事実は伝えられて忘れられてまた新しい情報が出てきて目まぐるしい情勢だったのかもしれない。とにかくこの目まぐるしさは特筆に値すると思う。

 

【追記】

https://www.tokyo-np.co.jp/article/188517
これは東京新聞の社説で、7/98時くらいに出ている。
~主張を封じることが狙いなら、という仮説なので、やはり断定ではない。
http://blog.tatsuru.com/2022/07/08_1344.html
これは内田樹のコラム(原稿を自分のHPに改稿しているもの)。事件後の文章としては最速に近い(7/8の14時くらい)。ここでは二項対立という構図は薄いように思える。言論への諫めが強いが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1c49c6b9120a5c662aaf1ccab1c539ef72e3de1
沖縄の玉城知事の会見内容。ここでははっきりと対立が示されている。7/819時の記事なのでやはり早い段階から対立構図が出現している
https://www.sakigake.jp/news/article/20220708CO0118/
与野党の反応をまとめた記事。やはり7/8の時点で対立構図が政治家の口から出ている。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/470893.html
NHKの当日の解説。けっこう中立的だと思う。

まぁ、やはりおぜん立てがあったということなのだろう。国政選挙中のテロなんて、そりゃ情報がなかったら対立陣営のものだと思うのもわかる。
後は世代間格差だろうか。安保闘争とかで言論と暴力が鍔迫り合いをしていた時代はアラサー以下の世代が思っているよりも近く、生々しい傷跡を残しているのだろう。あさま山荘のデカい鉄球をギャグとして使えるようになったのはつい最近なのだ(そんなおもしろを出す機会があるかは別です)。
そう思うとゼロ年代以降の大規模な凶行は秋葉原の事件からこっち、突然何の前触れもなく起き巻き込まれるもの、という認識が強かったのかもしれない。政治的な信条で起こるメッセージ性の強い事件って若い世代にはあまり馴染みがないというのは事実だと思う(もしくはそういうメッセージが”おもちゃ”として扱われる側面もSNSで露見してきている。障害者施設の事件だってなんだか色々な派閥の自己アピールに吸収されてしまった感もある)。
で、ここにきて事件の動機が宗教2世の問題と絡んできている。このカルト宗教というのもまた80~90年代的だ。アラサー以下はあまりピンと来ていない(N=1)。これらは近年横行する陰謀論との相性がいいのでトンデモ流言飛語もまま見られる。すべてを因果関係に集約していくのはヒトの悪いクセだ。

THE IDOLM@STER 765PRO ALLSTARS LIVE SUNRICH COLORFULの感想

765ASのライブが先週末行われた。その重大さは765ASを『ゾクガミ』と読んでもらえれば伝わるだろう。女房を質に入れても見逃せないライブだったが、女房がいないために何かを失うことなく参戦できた。あぁ、女房がいなくてよかったなぁ(水柿くんネタである)。

参加形態は1日目が自宅配信。2日目が映画館LVとなった。

 

7/9土曜日

起きる。作業。セブンで明日のチケットを発券しようと思ったら現金がなかったり友人とDiscordでフォールガイズをしたりよいスピーカーの配線をライブ視聴用に変えたりそうこうしているとライブが開演する。

結果的にライブはとても良かった。酒飲みながら踊って見る配信は最高。以下特に良かった曲の感想。

1.We Have A Dream

「馬鹿すぎる」と思った。でも覚悟を感じる1曲目だ。

2.サニー

夏が来た。この辺のニーで終わる楽曲だと、「チェリー」もはじめにぶん殴られた思い出がある。ニー殴りだ。

6.Slapp Happy!!!

最高!!自宅で二本の足で立って踊った。めっちゃ好きなんですよねこの曲。

9.セクシータイフーン

好き~。背景の映像も凝ってて良かった。俺はもちろん脳内では完全にMVを組み終わっているが…。

10.マジで…!?

声出せない状況下での「マジで…!?」は非人道的な行いとして国連で非難されている。だが在宅配信では関係ないので爆踊りした。

11.99 Nights
12.VELVET QUIET

爆踊りZONE

17.ソナー

MA4の中でも一等好き。いおりんのこういう曲好きなんや。ロイヤルストレートフラッシュとか

24.READY!!

〆READY!!もいいものですね。

ライブ後駆け込みフォールガイズをし、現地勢の友人とファミレスへ。感想会をする。調子に乗って過去のライブセトリを見てMoIWが良すぎることを再確認した。あと別企画の配信も耳で聞く。

 

7/10日曜日

寝すぎた。投票券を行使しつつLV同伴の友人とベトナム料理屋へ。その後サウナを3セット。SunsetColorfulなので。ダンゲロスの漫画を読んだけど好きな感じだった。LV会場入り。

結果的にライブはとても良かった。映画館の音響と周囲のサイリウムに照らされて見るLVは最高。以下特に良かった曲の感想。

2.ラムネ色 青春

夏、2回目ーー。

5.Pon De Beach

この組み合わせでのポンデは最高ですね。遥香さんにも夏は似合う。イノタク…

6.LEMONADE

歌詞が手榴弾で始まるアイマス曲史上最も良い曲ことLEMONADE。あのCD群からカップリングのこの曲が歌われるのは本当に嬉しい。You Tubeに弓木版もあるけどそれも最高です。

12.Miracle Night

イノタク…

15.Honey Heartbeat(Long Intro Ver.)

MCから知らないイントロが流れたと思ったら『ダッダッダッ「空は~」』が流れたときの衝撃は忘れられない。そんなわけないだろ。というのもRinda曲が俺は好きなので、以前MoIWでVTBが流れたときも「ライブでRinda曲が流れるなんて儲けものだなぁ」と思っていた。それが満を持してHHBである。あの最高のジャケをモニタに映してほしかったくらいだ。Get on the Micである。令和にずんずんが見られることあるんだ。やけに詰め込まれた歌詞へのパフォーマンスも最高で、俺的ベストテイクです。ありがとうな

18.Kosmos, Cosmos
19.スタ→トスタ→
20.目が逢う瞬間

ニコニコ組曲かと思った。こんなメドレー、ありませんでした?

もっこすは浅倉歌唱verのフューチャー的なアレンジが好きなので本当に良い。映像もかっこよかった。しかし改めて聞くと変則的な歌だ。

スタ→トスタ→は…まぁまず構造的に下田はMA4曲で両日を乗り切れるので双海曲の旧曲歌唱はないという問題があり、それをクリアしてくれた嬉しさがある。ありがとう。そして亜美真美が同時にステージに立っていること。これはとても良くていくつかの言及ポイントを含んでいる。

亜美真美が二人で曲を歌う映像の存在

ニコニコ動画では数多のニコマス勢により当たり前のように亜美真美が同じステージに立っている映像が作られている(正確に言えば初期はゲームシステム的に二人は同じステージに立たせることができなかったので、100%投稿者の腐心によってそういう映像が作られていた。初期のとかち動画を見るとまだそういうコメントが残っている)。がそれを実写で行われる衝撃はやはりあって、二人いるという存在感(MRで感じられた質感)とそれぞれがカメラに追われて寸劇をする演出など双海はこうだよね!?みたいな思いは強い。これにより双海Pの脳内の妄想レベルが1段引き上げられるのではないかと思っている。俺がそうだからだが…。なので今後のニコマスの双海の動画は結構面白い気がなんとなくしている。

アイマスのライブにおけるキャラ/声優

下田はまだ分身できないので、双海亜美真美の真美の方はダンサーさんによる当て振りで表現されている。ここで演者=キャラと言う図式を使うと真美は真美ではなくダンサーさんになる。しかしあの場で真美はやはりいて、そうなると765ASのステージは演者=キャラではなく、演者(とライブ制作者)が作り出す『雰囲気』が大切だということになる。

ライブのみならず劇における演者とキャラの主従関係は色々と考察されているだろうが、この『雰囲気』性と言うのは贔屓目に見て765ASのステージの大きな良さだと思っている。若林直美は律子に外見を似せている(この似せているってハンターハンターの十二支ん的な表現にならないですか)が、必ずしも常に律子ではない。その神っぽさ(メンバーのまとめ役としての働き)もライブの良さだ、中村繪里子天海春香になりきっているのではなく天海春香を纏っている。学習能力の高い俺にはわかる。中村繪里子が行う天海春香的な発言にオタクはグッとくるし、中村繪里子的なアイドルマスターというコンテンツへの言及にも同じくオタクはグッと来ている。この演者とキャラのレイヤーの行き来が765ASにおいては非常にスムーズに行われている…と俺は思っている。なので亜美真美はダンサーさんを利用してでも、同じところに下田麻美がいれば『雰囲気』で良しとされる。

23.M@STERPIECE

やらないと思っていた。この曲はあまりにも良くて総括的なので、逆に封印することでマスピを乗り越えるという流れを俺は勝手に想像していた。しかしやると非常に最高で斜め上からのアングル最高ですね。

24.THE IDOLM@STER

 

ライブ後友人たちと飯。LMGはMRでやってましたね。

酔ってさっさと寝た。

 

物語を「~ポルノ」と表現すること(「虚構」に「現実」をみること)

表題のことに対して俺は反対を表明する。一言でいうと「ばーか」と思っている。しかしこれは射程が大きい話であることも確かだ。この問題に類するものを最近インターネットでよく見る気がする。だからこの問題に議論や言葉を尽くす必要があると思っている。なのでたらたらと未練がましく書こうと思う。

世の中には物語があふれている。それらは大きく2つに分けられる。「虚構」と「現実」だ。虚構/現実という区分は「視点」に置いて考えられる。「虚構を見ている物語」「現実を見ている物語」。表現を変えれば「虚構を表したい」のか「現実を表したい」のか、そういう意味で物語を大別したい。

と言うと創作実話とか嘘松なんてものはどちらにするべきだろうか。今はそれらも現実に含めたい。創作実話は「実話を元にしたフィクション」だ。これは「虚構を表したい」のか「現実を表したい」のかどちらだろうか。もちろん後者だ。「現実がこんなだったら良いのに」というのが創作実話の表したい部分だ。「この創作面白いですよね?」は表したい部分ではない。

大別しておいて急だが、「虚構」は「現実」を内包することがある。「現実」の問題点を「虚構」で示すこともできる。しかしこれは「虚構」の意味をも「現実」に還元することではない。「虚構」はあくまで「虚構」だ。この構造はレイヤーとして考えられる。「現実」は存在している物事なのでレイヤーを複数持つとは考えにくい。「虚構」は複数のレイヤーを持つが、一番表層的な部分は「虚構」だ。

「現実」でも「虚構」でも物語には考察が行われる。深掘りというやつだ。そして「虚構」に対する考察では先程出てきたレイヤーを文字通り深掘りして、対応する「現実」のレイヤーを露出させることがまま行われる。それは良いと思う。しかし物語を物語として摂取する際にまず見るべきなのは「虚構」のレイヤーだと俺は思う。まずはそこを見るべきなのだ。「虚構」の物語には「虚構」である意味があると思うからだ。

今言った『「虚構」に対応する「現実」のレイヤーを露出させること』の最も下卑た形が表題の『物語を「~ポルノ」と表現すること』だと思っている。それは一足飛びに「虚構」の意味を「現実」に置き換えさらにそれが低俗な形で行われていることを指す言葉だ。言い切ればまともな人間が使う言葉ではない。

 

ふたりの告白 - 西瓜士 / 【コミックDAYS読み切り】ふたりの告白 | コミックDAYS

 

なにをそんなにぷりぷりしているのだ、と言うとこの漫画にそういうコメントが付けられていたからだ。この漫画はすげー良くて絵もいい。しかし性とか難病とか難しい問題も扱っている。でもそれが良い部分でその題材でこの爽やかさを出せることがすごいのだ。これは「虚構」のすごいところで正しいことも正しくないことも描けるってことなのだ。それを安易に「現実」に置き換えて『こんなうまくいくわけないやん』『難病ポルノだ』みたいなことを言うのは…冒頭で「ばーか」と言ってしまっているが…上品に言うと『「虚構」を楽しむのが下手ですね』と思う。人には向き不向きがある。仕方ない。現実が得意分野なんだろう。現実オタクは現実へおかえり。分かれて暮らそう。

まぁ話を戻して、「虚構」を「現実」のレイヤーで見てしまうのはまぁ仕方ないことでもある。だって俺たちは「現実」で生きているからだ。「虚構」の物語で美味しい食べ物が描写されれば以前食べた美味しいものを思い出してしまう。これを持って『「虚構」は「現実」ありきやんなぁ』ということは簡単だが、やはりそうではないと思う。みんな人生において大事な「虚構」があると思うからだ。その大事さは、「虚構」が「虚構」であるからこそ「現実」を超えて真に迫るものを表現しきれる、という証左になっていると思うからだ。この具体例をあげるのは難しい。ただモナリザに今でも人が群がっていることを思えば…そういうことなのだ。

先程考察の話をしたが、これも最近良くない感じがしている。考察というのは意味付けでありパフォーマンスなので、結果が過激な方がウケが良い。そうすると行き着く先は「ポルノ」なんて言い方になるのだ。

本当はもっと長々とグダグダ書くつもりだったけど息切れしたのでこの辺でキーボードを置く(筆を置くを現代風に言おうとしたが、こう書くとキーボードを持って書いているという誤解を生みそうだ。キーボードは水平で丈夫な机の上で使うのがおすすめです)。書いていて思ったが、やはりこれは自分の感受性の核の一つなのかもしれない。良いエピソードを書いておくと、自分は「レッドウォール物語」という動物たちを擬人化した小説が子供の頃好きだった。この小説にはリスとかネズミとかが木の洞にある家でコケモモのケーキとかを食べるのだけどそれがやけに美味しそうなのだ。いま大人になってまだコケモモを食べたことはないしそんなのよりあまおうが美味しいであろうことは何となく分かるが、俺はまだコケモモに憧憬を抱いている。これは「虚構」への憧憬でもあるのだ。