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オタクは内輪ネタに何を見る


ラヴィット!見る前にこれだけ押さえとこう!ラヴィット!内輪ネタ総まとめ - オルソンブログ

 

この記事、とても面白かった。網羅性があるしラヴィット、面白そうだなー。と思う(ちょっとは見たことあるんだけど)。実際コメントにも好意的な意見があるが、『内輪ネタがこんなにあると見始めるのがつらい』みたいなコメントもある。そもそもタイトルにある『内輪ネタ』ってなんなんだろう?最初に言ってしまうと、公共の電波で流されているくらいマスであればそれは内輪ネタではないと俺は思う。

内輪ネタは従来、閉じられた関係性の中で文脈が醸造され行われるネタであり、第三者から見るとその文脈が追えないものを指す。翻って関係性の中では内輪ネタは親密さを示すコードとなったりする。冒頭からつながる話で、内輪ネタが第三者にバレた瞬間を考えたい。つらい、というのは『文脈がわからない、理解できない関係性を見ると苦痛だ』ということだと思う。まぁ、わからなくもない。例えば街なかでカップルがイチャイチャしている状況はこれに近い。イチャイチャは内輪ネタの一種だ。

しかしここにオタクを代入すると様相が変わってくる。オタクはイチャイチャを見ると『尊い』とか言う。『てぇてぇ』ということもある。何も言わないこともある。ここに苦痛はない。なぜオタクは内輪ネタに苦痛を感じにくいのか?それはオタクが内輪ネタをネタとしてではなく先に話した親密さのコードと捉えているからじゃないだろうか。

前提として内輪ネタはわからないものであり、わからないものは苦痛だ。しかしその内容をさておき、内輪ネタを親密さの発露としてみれば『俺達仲良しこよしだぜ』という看板を首から下げて歩いているようなものだ。オタクは内輪ネタの内容を見ず、そこに立ち現れる関係性を見ている。そして関係性を理解すれば内輪ネタの文脈が読解でき、面白く感じる。永久機関が完成しちまったなぁ〜ということである。

これはコンテンツにハマる心理の一つであり、沼へ続く道だ。この道を歩いてしまう、内輪ネタに関係性を見出す者はオタク適性がある。つまりオタクはラヴィットを見ろ。

 

あとターゲットは1900って言葉面白い。日本の論点は2021だぞ、とか使いたい(それとこれとは)。

 

あと優れた内輪ネタで言うと板橋ハウスは優れてます。