続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

おおきないさかい

他国の戦争の状況が毎日テレビで流れてきて、やれどこが占領されそうだ、やれここが思ったより持ちこたえている、なんて話題を見るけど「持ちこたえている」という言葉の中にどれだけの悲鳴が含まれるかと思うとやるせない。

おそらくこの戦争は極東の島国には地政学的に(これも急に戦争後聞くようになった言葉だ)歴史的に理解し難いイデオロギーや政治的駆け引きがあり引き起こされているのだと思う(第二次大戦以降の欧州のEU的な主義を理解するのは難しそうだ)。

かと言って無関心を装うと大切なものを失いそうな予感がする。予感だけど、西の方で起こっている事態が早晩全世界的に波及するのは間違いなく、それは自国がロシアの隣国だこらとかいうことではなく、世界を覆う大気を揺るがすような波及をするだろうからだ。基本的人権と同等の何かを欠損するようなことにもなるだろうとうっすら思う。

となると関心事は停戦の交渉でありその進捗こそがトップニュースになり得ると思うのだけど、冒頭のようなニュースを見ていると『今日のスタメンは良くないなぁ』みたいな考えでウクライナの地図を見てしまいそうになる。ちょっとそれがテレビから嫌で目をそらしている。

自分を駆動する

友人と食事に行くまでに少し時間があったので、本屋に立ち寄った。最近はKindleやDMMの台頭で物理本を買うことは少なくなったがやはり本屋は『気』に満ちていていると健康になる。いずれガンにも聞くようになる。

そこで文庫本を見ていると女子高生が隣で「本って、最近読まないな」「スマホ見ちゃう」「スマホの方がさ、情報がすっと入ってくるよね。本は気張らないと世界に入っていけない」と言っていた。

読書は読むという能動的な行為が必須であるというというのは保坂和志が言っているのでそのとおりだけど、翻ってスマホで得るような情報は受動的だろうか。そりゃもちろん女子高生が見るなんてのは動画コンテンツだろうし受動的と見える。めくらないし。でも能動的でない、理解しようとしなくていいってどういう類の情報なんだろう。なんとなくはわかる。自分も5chのまとめサイトでグラビアアイドル・タレントがちょっと肌を露出したとかいう話題で『エッッッッ』と盛り上がっている(?)スレを見てしまう時がある。そういうときってなんか他責の思考になっている気がする。「クソツマランコンテンツが悪い」みたいな。スレタイで開いたの自分なのに。

そういう積み重ねがインターネット的なお客様主義、他責思考になっていくのかもしれないとも思う。自分を駆動していかないといけない。自分を動かさずに他人ばっかり動かす人(意識高い系)が嫌われてるのってそういう他責思考が原因でもあるんじゃないだろうか。ちょっとそういうことを思って、その文庫コーナーに國分功一郎の本があったのでKindleで買った。再読だけど。

どうでもいいの地平線

norishiro7.hatenablog.com

考えるに、ジーコの「いや、あいつはきちんと笛を吹いているよ」という発言を支えていたのは、ジェンダーに関する知識や配慮や思いやりや道徳心などではもちろんなく、そんな些末なことに気を取られる暇のないほど真剣にサッカーへ取り組む気持ちでしかなかったのだろう。

ブログを読んでいて、ここがぐっと来た(乗代さんのブログはどの記事も面白い)。

ブログ内ではこれがゲイ(っぽい)審判に対する話として出てくる。ジーコがそんな審判を試合に対する態度できちんと評価したという話を乗代さんは「それは道徳心などではなく一つのことに打ち込む際のすごみがそうさせている」と言っている。

社会が平等というフラットな形を目指す(とされている)中でそのフラットさを実現させるのは思慮だけではなくどうでもいいという諦観だったりもするのではないかと思う。

Twitterで「女性の店員さんばかりに話しかけてくるおじさんがいる」みたいな話題を定期的に目にする。この話が大嫌いだ。もう本当に勘弁してくれと思うのだけれど、それは俺が女性目線で『本当にそういうのは困るよね』と優しく寄り添っているわけではなく、普通に『ひえ~こわ。ちかよらんとこ』と思っているだけだからだ。仮に俺が店員でおじさんからでもおばさんからでもいいがそんなことされたら『この人はそういう謎のコミュニケーションしか取れないんだなかわいそ』と思ってしまう。何より知らない人から話しかけられたくないし。イヤすぎる。そういう主観的な気持ちでこの問題を考えている。その場に居合わせても止めるなんてできないだろう。こういうとき俺は優しくない。

あと街で髪とか蛍光色で虹色の服を着ている女性や、ゴッスゴスの服を着て日傘をさしている女性または女装の人を見ても俺は『イケてるな~』と思う。ただそれで『古い価値観から脱却してるな~』と思うわけではない。人の心を読むフェミニストがここで俺に『女性の自分らしさを尊重できるんですねあなたは!ステキ!旗持って青山通りを歩こうぜ』と言われても『こわ~』と思ってしまうだろう。何より知らない人から話しかけられたくないし。

 

進歩的な社会を目指しているという運動に否定的でもないし少し肯定的なくらいというスタンスはある種の諦観によって成り立っている。社会全体が当事者なんだという気持ちを持て、と社会問題に対しては言われるけれど、そういうことを言われるとしょんぼりしてしまう。俺の方で『女は産む機械』といった人を殴っておけばいいだろうか?そういうことでもないと思う。しょんぼりする。やんなる。は~ぁとなる。そういう諦めに似た思いで日々のニュースを見ている。

優しい倍プッシュ

寄付をした。

 

そしてさっき気づいたけど、決済ボタンを連打したせいで倍額寄付していた。世界一優しい倍プッシュがそこにはあった。

あと確定申告もしないとなという気持ちになっている。年収は常に振動しているので観測によって確定しないといけない(超ひも収入理論)。

 

こうして寄付をすると世の中の様々なことが気になってくる。コロナウイルス対策には寄付しないのか。同じ紛争でもアフリカのそれはどうなんだ。移民を受け入れる中で税関で死んでいる外国人だっているのにか。

そういう声にはウオオオと言うしかない。

大きすぎる問題の前で人は立ち尽くすしかなくできることは最初の足場となるくさびを打ち込むことだけだ。

そうしてやっていくしかない。

インフルされンサー

インフルエンサーは自発的には発生しないと思う。「おっ、俺はインフルエンサーだぞ」という意識はかなりすごい。影響は与える人と受ける人がいて成り立つものなので、インフルエンサーにはその影響を受ける人、インフルされンサーが存在する。そしてインフルされンサーもまた才能である。

世の中のトレンドに敏感で影響を受けるだけの行動力がある人を想定するとそれはかなりアクティブな人だと言えるだろう。そういう人は貴重だ。我が身を振り返ってどうだろうか。Twitterばかり見てリアルタイムの情報は手に入るが家から出るのも面倒だしお金ないし眠たいし…そうして展覧会(谷口ジロー展)や通販限定受注生産商品(アイマスのRemixCD)やポップアップストア(これはあんまりない)を己の手のひらから逃し続ける人生だ。何がインターネット2.0だ。相互性のかけらもない。

インフルエンサーになれないのはまだしもインフルされンサーにはなりたいものだ。消費を自己表現とするなんて浅はかな承認欲求だぜ、なんて冷笑している場合じゃないぜ。

天理に行く

関西に旅行に行った記録を書く。

 

東京から新幹線で京都へ向かう。ぷらっとこだまを利用したので3時間位かかる。ぷらっとこだまについてくるドリンク無料券って対象店舗がわかりにくく使いにくいと思う。

京都に到着後、今日の目的地である天理に向かう。

天理は日本唯一、市町村の名前が冠された宗教だ(逆もまた然り)。市の予算の大部分を天理教からの寄付によって賄われている土地がどんなものなのか一回見てみたかった。天理は路線の終点でありターミナル駅となっている。駅を出ると開けた広場で子どもたちが遊んでいる。そこから天理教の本殿へとつづくアーケード街を進んでいく。

アーケード街野中を学生たちが自転車で走っていく。見ると数人、天理教と書かれたハッピを着ている学生がいる。なんだか不思議だ。そう思いつつアーケード街を抜けると、異様な建造物が目に入る。

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民家の中に現れる施設

おぉ、と思うがこのような施設は天理市内にいくつもある。これはおやかたやかたと呼ばれるもので、全てはまだ完成していない。教義に従い今も建造が進んでいるそうだ。しかし全ての施設が宗教的なものなわけではない。もちろん全国の信者を止めるための施設だったりもするわけだが、写真にある建物はこう見えて中は病院である。こんな施設に救急車が入っていく。不思議な光景だ。

わくわくしながら道を進むと突き当りに天理教の本殿がある。1階は靴箱(本殿が大きいので靴箱も多い。ショッピングセンターの駐車場よろしく『東-1』みたいな住所が振られている)で2階が本殿…お祈りをする場所である(もっと良い言い方できないのか)。2階は3100畳ある大広間で、中心に御神体的なものがあり信者はみなそこに向かって真言?を唱えたりておどりと言われる独特の踊りをしたりしている。

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巨大な本殿

その日は日差しが暖かく、少しひんやりした本殿野中が気持ちいいくらいだった。なんとなく畳に正座をしていると、そこらかしこで普段着の老人や家族連れがお祈りをしている。親に習って見様見真似でておどりをする子供がいれば、飽きた子供が走り回ってきゃっきゃしている。祈りの声以外は静かな空間に身をおいているとなんだか心が安らぐような気がする。なんか前にもこんな体験をした気がするなと思うと、それはイスラム教のモスクだと気づく。トルコでイスラム教は人々に根付いた宗教でスピーカーからアザーンは流れるしいろいろなところでお祈りが行われている。それは義務ではなくなんというか、日常に根ざした宗教というような自然さを伴って行われている。天理教のそれもそんな日常的な祈りというのが多分にあるような気がした。それはもちろん絶対人口の多さだったり土地柄もあるのだろうけど、やはり歴史の長さがあるのだろう。こういう瞬間宗教の力を感じる。幾人もの人に根ざしたどっしりとした重さが本殿にはあった。

非日常を体感したので満足して周囲の散策を続ける。天理教のおしえを教えてくれる施設や、各国の暮らしを紹介する資料館なんてのもあったのでサラッと見ていく。戦後のアメリカにおける天理教伝道師の話なんてのが面白かった。

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宗教関連施設もおやしろやかたにある

最後はアーケード街を戻り天理を後にした。2時間半ほどの滞在だったが面白かった。

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ちょっと仏具屋が多い商店街

本当に普通の街に宗教施設がどーんとそびえているのが良い。

宿泊地は京都である。やよい軒食べて寝た。

日本一のアパホテルに行く。1500円で。


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日本で一番大きいホテルは品川プリンスホテルだが、二番目に大きいホテルはどこだろうか?アパホテルだ。

幕張にあるアパホテルは2000室を誇るマンモスホテルである。そこに1500円で滞在できるらしい。行くしかない。

1500円というのは千葉県在住者が使えるテレワークプランの値段だ。デイユース10時間で1500円。この日は代休だったが、ワーク顔で定時である9時にフロントに出勤し、タイムカードではなくルームキーを貰う。

ここで終わりではなく、おもてなしクーポンも同時に500円で購入する。これは500円で五千円分のクーポンが手に入るものだ。ただこのクーポンは対象店舗の支払いの半額にのみ、かつ1000円単位でしか使えない。とにかく値段だけは願わくばクーポンでなく日本銀行券にもこの仕組みを適用してくれると大変ありがたいのだが…。

その後30階にあるオフィスへ向かう。アパホテル幕張のこの建物は元々幕張プリンスホテルだった。50階建てのビルは宿泊施設が有する建物として最大だそうだ。その30階に着くと、自由が始まる。


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アパホテル幕張には大浴場が3つとプール、コンビニ、レストランなどが併設されている。とにかくそれらを使い倒すためにまず風呂に入り、三体スリーを読み耽る。

お昼になったのでビュッフェに行く。本当は最上階である50階のビュッフェに行きたかったが、満席だった。マジか。とりあえず1階のビュッフェに行く。テレビ千鳥で『バイキング選手権』を見てからずっと行きたかったのだ。ここぞとばかりに料理を盛り付ける。ここでの支払いはクーポンを使えるので、1000円引きになる。部屋に帰って三体スリーを読む。もう一度風呂に入る。日の出ているうちにデカい風呂に入るのは素晴らしい。ワンピースの正体もこれらしい。

風呂の感想はこれ→

ここでもう一度クーポンを使う。ただホテル内ではなく、外でだ。アパホテルには別のホテルが隣接している。ホテルニューオータニだ。ここのケーキとかもクーポン対象なのである。2000円分のケーキなんて食べられるかしら?と思って向かうも、そこには1ピース3600円のショートケーキがあった。バグかよ。流石に一切れに半額でも1800円は出せなかった。大人しく別のケーキを二切れ買う。部屋で食べる。うまー


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満腹になって昼寝などしているとチェックアウト時刻である。何がホテルを使い倒すだというところだが、一人では限界がある。とはいえ静かに時を過ごし風呂に入るのには絶好のプランなので、というか普通にテレワーク場所としてもとても良いと思うのでチーバくんを養っている人たちは一度行ってみるといいと思います。