続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

本爆買いで気づいたこと

本屋爆買いの続きである。

firstlot13.hatenablog.com


この爆買いによっていくつか気づきを得た(胡乱な言葉だなぁ)ので書いておこう。
・欲しいものは忘れちゃう
何でも買っていいよ!と言われた時、本当に欲しいものは忘れてしまう。これは性格もあるのかもしれないが(たとえばふるさと納税とかカタログギフトとかが苦手だ)…いい!と思ったものはすぐブクマとかふぁぼとかしておいたほうがいい。気になる本が流れてきたらブクマ、気になる外食情報はグーグルマップでピン止め…人生は気になるものだけ見ていてはつまらないが気になるものだけ見ていると人生が足りなくなるのだ…ここまで書いて地元の図書館のお気に入り本を見返して4冊ほど予約申請してしまった。また時間が無くなっていく。
・タイトルで言い切る本多すぎ
改めて購入意欲を持って新書コーナーを見ると財テクとか自己啓発とかで言い切っている本が多すぎる。言い切ってる本って、なんかそれだけで購入意欲失せないですか?どうせそうなんでしょって思っちゃうしめくっても目次見ればわかっちゃうし。どうしても小説と同じ軸で考えてしまうけど、俺はまだなろう系のそういうタイトルにもなじめていない。ミステリなら「~館殺人事件」とか読みたいそういうお年頃なのだ。自己啓発はまだしも新書でそれやられるとうーんになってしまう。本読んでわかりたくないから本読んでるんだぜ、という思いを強く持っていきたい。まぁこの辺は流派が分かれるしインターネットでは無限に議論されていることなんであれなんですけど、そういう流派が多いのだな、と思った次第。
・自分の興味を抜け出すのは難しい
今回痛感したのがこのことだ。本屋は情報がすべて同列に並べられているので、いわゆるSNSのエコーチェンバーがかかりづらくそれが美点とされる。本屋には偶然の出会いがあるんだよなんて言われたりもする。しかしSNSヒューマンになってしまった現代の人間にはセルフエコーチェンバーがかかっており、自分の興味対象を外れた本は手に取ること自体が難しく感じてしまう。少なくとも自分はそう思った。広大な本屋において自分が行き来したのは漫画と美術書とSFと思想本のところだけだ。Twitterのbioに全部書ききれるくらいの興味範囲しか移動していない。もっと意味わかんない分野に手を出していけよ。TLじゃあないんだぞ。
でもいきなり医学書とか超ひも理論の本とかを手に取るのは難しい。結局これも無意識的になんとかパフォーマンスを気にしてしまっているんだろう。同時間で得られる知識は既知の範囲のそれの方が多いからだ。こういう傾向を年齢のせいにする動きもある(自分もすべての悩みをまず年齢に結びつける年になってきている)。でも今自分の傾向はそういう流れへのアナーキズムでありこういう状況を打開していきたい気持ちもある。
そうなると対抗策としては…レコメンドを追っていくことなのかもしれない。これが顕著なのは音楽だ。好きな歌手が作っているプレイリストを追っていくことが聞く音楽の幅を広げる一番の近道だと最近は思うようになった。そうなると好きなジャンルばっかり聞いちゃうんじゃないと思うけどそんな簡単なものではなく、人の興味はどこかで必ず拡散する。隣の沼から隣の沼へ沼のツイスターゲームが始まっていく。そういう接し方を本、映像その他コンテンツに対してもするべきなんだろう。いや、べきってことはないけど今の自分はそういうことをしたいモードなんだと意識することが大事なのだ。デオキシスのように複数のモードを使いこなせる人間になろう。