続けてもいいから嘘は歌わないで

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Twitterが終わる

Twitterはもう駄目」と言われて幾星霜だが最近は本格的にダメになってきている。それはAPI制限でTLが流れなくなることが決定打になっていて、やっぱりTwitterは多くの人にとって発信よりも閲覧のツールで、他人が細切れに言い散らかす言葉の流れるプールにぷかぷか浮いていることが大事だったんだなと思う。
自分もTwitterを高校生の時からやっており人生における継続ランキングとしてはかなり上位だ。肉体、精神、お絵かき、Twitterくらいの位置かもしれない。
最初は友人らと内々で始めた。当時はガラケーだったのでブラウザからつぶやくのではなくメール機能を使ってつぶやいていた。その時の用途は今でいうLINEのようなコローカルミュニティの形成にあり(まぁマジのローカルコミュニティはメール上にあった。Re:Re:Re:…とかやってたわけですよ)鍵垢でないにしても基本やり取りは知り合いの間でしか回していなかった。それがいきなり社会とつながったのはやはり3.11で、Twitterの利用者数はぐんと増えた。それは社会性を増したということでもあり、逆に母数が増えたことによる胡乱なつぶやきを許容することであもった。
とはいえ自分のTwitterのスタンスはそこまで変わらなかったように思う。めちゃくちゃフォロワーが増えるわけでもないし、めちゃくちゃTwitterで仲のいい人ができたわけでもない。と言うかTwitterで仲良くなった人にはたいていリアルで会ってしまったという方が正しい。インターネットで生きてきた自覚はあるけれどけっこうリアルも重視してるんだなと今自分で思った。趣味のライブとか、趣味の地下イベントとか、そういうところでありがたいことに人と会う機会があることはインターネットの匿名性を良い感じに晴らしてくれる。俺のTLからは血の味がする。
と言いつつもTwitterでしか知り合えない人がいるのはめっちゃ事実で自分も冒頭に行った流れるプール性に身をゆだねるのが好きだ。
Twitter文学なんて言葉があるけれど一定の形式の美学みたいなものが、Twitterの界隈には存在すると思う。それが悪い方に転がる例を俺はさんざあげつらねてきたがいい面も(少しは)ある。と思わないとやってられない。この十何年間を自分の言葉で無為にするのは耐えられない。はい…とりあえずTwitterには最後までしがみつくと思う。イーロンは家族とか友人と遊べっていうけど、TLのみんなもズッ友だぜ…(と、ブログに書くのもどうなんだ)