続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

性格は一貫したものではない

性格を正確に知ることは難しい。
ダジャレを言いたいわけだったのもあるけど目下思ったことだ。自分の性格というのを自分はあまり把握していなくてその点で他人と齟齬がある場合がある。
というより性格の一貫性を信じていない節がある。例えば俺は睡眠時間の長短や空腹具合によって思考回路が全く異なる。空腹で眠りが足りない時はカリカリしていて悲観的だ。そういう時SNSを見るとすぐイラついてしまう。未来を思うと将来お先真っ暗な感じがする。そんな時はよく食べて寝るとある程度前向きになれるしポジティブになれる。もし空腹バージョンの俺しか見ていない人がいたら嫌な奴だと思うだろうし、満腹バージョンの俺しか見ていない人がいたらまぁまぁ…スタンダード。と思うだろう。それほどに一人の人間の中には違う人格が渦巻いている。それを一言「素直」とか「頑張り屋」とかいう言葉でまとめるのは無理だろう。ポケモンじゃあ…ないんだぜ。余談だが仕事において仕事上のお願いが通りやすい時間帯というのもありそれは上司が満腹なときらしい。つまり無理な稟議を通したいときはまず先手を打って上司の口に不揃いバウムを詰め込んでおくといい。こういうことにフォーカスした本もあるらしく少し読んでみたい。
とにかく、人の内面って諸条件でころっと変わるものなのだ。またそれを性格という「元気」「ネガティブ」などの言葉で、あたかも人類共通の元気尺度上があってそこの偏差値分布に配置するように表現するのは難しい。俺の発揮できる元気さとラテンアメリカで考えられる元気さの絶対値は異なるが、双方ともに元気さを目指しているとして、その時俺は元気ではないのか?性格は結果ではなく物事への姿勢で図られるべきだ。お前の親父の元気が俺の微熱のちょっと下だとしても、お前の親父も俺も元気ではあるのだ。さや香の引用です。だから人から見た性格は「役」であり「分人」でいい。
でも性格は存在しないわけではない。本当の性格は私的な考えのもとに現れるものなんじゃないか。と思う。自分の内面での考え方とか、道端で何をするかとか、そういうほぼ無意識での選択は性格が色濃く影響しているだろう。そしてそういう選択を『良く』する規範が倫理とか道徳とかだ。自分を律すること。自分との約束を守ること。倫理的というのは他人へのアピールではなく自分へのアピールだ。ジョジョの奇妙な冒険3部でポルナレフが言う『「正しいことの白」の中に俺はいる』という感覚である。個人主義は人の内面を尊重するが、人は倫理とか道徳とか何かしら与えられた規範に従うことで自分のあるべき姿を確認できる。

 

このツイートの「自分の衝動にだらしない」という言葉は強烈だ。人は衝動は持つべきだがそれを評価する選択ができる点で理性的である。
最後性格の話じゃなくなったけど、まぁ性格は固有のものではなく選べるし作れるという事は大事な知恵だと思う(俺が勝手に言ってるだけだけど)。この知恵は人生を生きやすくしてくれる。生きやすさの出発地点は、漫然としているだけではダメで選択ができるという事を知ることだ。