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頂き女子マニュアル女子の陳述の整理されすぎた言葉

“頂き女子りりちゃん”のマニュアルで詐欺の女 被害男性に「どうして恋人ができないのかを教えプロデュースする」家田美空被告(21) 涙の最終陳述【裁判担当記者の取材メモ】 | TBS NEWS DIG (1ページ) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/864216

これは頂き女子として世間を賑わせた事件の中で罪に問われている女性の陳述だ。

 

この長い文章(インターネットにおいて文が長いことは美徳とされない)で女性は色々なことを、理路整然と、一つ一つ語っている。これは一言一句書き起こされたものなのかもわからないしかなり記事にするにあたって整理されているのかもしれないけど、全体的に整理されすぎているとも言える。何故整理されすぎていると思ってしまうんだろう。罪に問われている人が自身の罪を省みて償うプランまでたてているのに。

 

ひとつ気になった点を挙げるとこの文章の中で、罪に問われている犯罪はお金稼ぎの手段とされている。女性が資格を得るという『成功』を得るための手っ取り早い稼ぎ。そして、それは悪ではない。検察はこの事件を『人の気持ちにつけこむ卑劣な犯罪』としているが、人の気持ちにつけこんだ部分が特に世間の耳目をひいているのだと思う。しかしこの気持ちにつけこんだ部分に対する反省はあまり見られない。後半に登場する被害者への言及は被害の保障であり、解決方法であり、謝罪ではない。ではそういう、気持ちという目に見えないものを無いこととしてそれを損なったことにフォーカスし前向きで具体的な解決方法で補うことを何と言うか。それはビジネス的解決だ。

文中で言われるように被告は頂き女子を、自分のような弱い女性を救うカリスマと見做している。その行為自体は決して間違っていないが、怒られが発生したので謝っている。そう見えてしまう。ただこれは他責思考ではなく行為の自発性は自身にあると認めている。ではどこが『怒られ』ぽいのか。それは自発的とする被告自らの感情が、頂き女子のそれとほぼイコールになっているからだ。本人が自発的と思っている考えは他人から見れば頂き女子、つまり『人の弱みにつけこむ』ビジネス的な考え、に洗脳されているように見えてしまう。

この洗脳という状況は特に近年容易に信仰ともとられるが、この危険性は『公正〈フェアネス〉を乗りこなす』で『道徳的・政治的未熟さ』と表される(この本は良い本なのでいずれ記事に書く)。

しかし難しいのは、こういった道徳的未熟さがビジネスに偏る時に限り社会的な評価と結びつく点だ。でなければ本屋にあんなに自己啓発本は並ばない。しかしビジネスが有意に金を稼げる思考法である限り、それによっかかることは合理的で、ドライで大人びた自立した姿勢に見える。それが年端のいかない弱い立場の女性ならなおさら、そう見えるんじゃないか。恋愛をビジネスとしてハックする。それが自らの自己資産たる身体を使うコスパに優れるものであるというのはエンパワメントで金銭的にも感情的にも救いであり、信仰されるに足る考えだった。それは供述から容易に読み取れる。そしてそこで得た考えを被告として使う時こういったビジネス用語で言うポジティブ思考な発言がすらすらと出てくるのは納得できる。当然供述としては納得はできないのだけど。そういう度を越した前向きなビジネス思考の蔓延がこの供述の気持ち悪さの一端を担っている気がする。

最後に『公正〈フェアネス〉を乗りこなす』ではこういった信仰を、『相対的な妥当性以上を求めてはいけない』と戒める。信じられるものを相対的な妥当性と認識するドライさは大切だ。だけどドライなだけでは生きて行けずそこに不断の努力が必要とされる。生きるって難しいぜ。