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タワマン文学がわからない


タワマン文学のことが正直分からない。最近単行本になっていたのでざっくり読んでみたけどやっぱりわからないしちょっと嫌な気持ちになった。なんでなんだろう?
なんとなくこの「文学」というのが露悪的というか茶化した使い方をされているからのような気もする。

タワマン文学は高学歴だったり高収入だったりする人たちの内面を描いていて登場人物はみんな挫折している。大学から新卒まではイケイケだったけどなんか鬱になっちゃったとか仕事はバリバリして女も抱いてるけどなんかむなしいとかそういう満たされなさを饒舌なモノローグで語っているというのが基本的な形だ。この饒舌さというのが文学要素である。
タワマン文学はある意味テンプレのような人の自意識の浮き沈みを具体的な固有名詞を使いリアルさアピールをしつつとそれを饒舌な(語彙力が高い)モノローグで語ることで文学風に仕上げている。
こう書くと悪口っぽいけどこれは実に読みやすい物語だ。知っているものしか出てこないから。そして登場人物が高スペックに描かれるため、現代で敵とみなされがちな高スペック男女の没落という露悪的なまとめサイト閲覧根性と高スペックも人間なんだという一点で高スペックと自分を重ね合わせられる自己満足感も刺激されるので読んでいてスリルがあり楽しいのだ。ここまで書いても悪口でした。

多分俺は文学にもっと期待をしていて、今までなかった視点が得られたりするものが文学だと思っている。しかしタワマン文学の文学性はモノローグの饒舌さを表しているだけでさして目新しいワンダーな要素があるわけではない。その点で俺の欲しいものがタワマン文学にはなかった。これがわからなかった理由だと思う。合わせてなんで嫌な気持になったか。それは物語が全体的に鬱々としていて救いがないからだ。タワマン文学の登場人物は外見は成功しているが中身が絶望しておりその中身をモノローグで語るので延々と悲しい。俺は悲しい(だけの)話は嫌いです。

ここまで悪口ばかりだったけど悪口を書きたいわけじゃないのでタワマン文学の面白い点「リアルな固有名詞」について別の観点を導入したい。それはお笑いだ。

ウエストランド井口が『今は商品名とかバンバン出してそれ自体がセンスの表れになっている』ということを言っていてそれが顕著なのがダウ90000の「でかいAKIRAが捨ててある」だ。

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これは固有名詞の大喜利のみで笑いを取っている。「デッドマンワンダーランド」なんて最高に笑っちゃうけど。でもこの固有名詞の笑いは世代を狭める効果もある。TVでドラゴンボールのたとえがどんどん伝わらなくなってきているように。水物が故に破壊力が高いのが固有名詞の笑いだ。俺もタワマン文学で自分の出身大学の小ネタ(大学付近にある異様にレギュレーションが厳しい定食屋)が出てきたとき笑ったし。うがった見方をすればツッコミという物事の固有名詞に帰着させる芸が流行っている中で固有名詞を出すことが今面白いこととされておりそこでタワマン文学の固有名詞の選び方がバチっとはまった側面があるのではないか。

もう一つ、饒舌なモノローグの文学性について。この形式は森見登美彦に似ている。
森見登美彦の作品は(特に初期は)鬱々としている大学生が自信を饒舌に術学的に肯定する様が世間に受けていた(実際アニメでもこのモノローグはほぼ完全に再現されている)。ここだけ抜き出せばタワマン文学は森見登美彦っぽいともいえる。しかし森見登美彦作品はその鬱々さが妄想にスライドしていき最後にはファンタジーに帰結する(ファンタジーノベル大賞受賞は伊達じゃない)。この点で森見登美彦作品は万人に受けるエンタメになっているのだけどタワマン文学はそではない。その饒舌さはひたすらリアルなデティールの積み重ねに使われる。これが俺はもったいないと思う。もしタワマン文学の主人公が疲労困憊の果てに妄想に取りつかれファンタジーに取り込まれる話があったら面白いのにな。『麻布タワマン2LDK神話大系』みたいな。タワマンに閉じ込められて自身の並行世界の変わらなさに苦悩する話読みたいけどな。

ともかくやっぱり自分は物語をファンタジーであってほしいと思っている。それは地に足ついていない話を見て現実を忘れたいということではない。
この連載にこんな言葉がある
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/fujita_tanigawa/22658

物語というのは、ある種、現実を構造化して、モデル化して、情報を縮減して、わかりやすくすることで我々に何かを教えてくれる装置だと思います。

このモデル化とか縮減とかそういうことを俺は大事だと思っており物語の醍醐味だと思っている。
だからタワマン文学のリアルさと言われる部分へのいやらしいほどの演出が嫌いだ。それはリアルなだけでリアルなものを見たければ俺には人生というメインコンテンツがある。そっちやったほうがいい。
物語は、フィクションは、現実ではないけれどまったく現実でなくはない。