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『公正(フェアネス)を乗りこなす』を読む

www.tarojiro.co.jp

『公正(フェアネス)を乗りこなす』はもともとWEBで連載されていたものを本にしたものだ。このWEB連載は面白くて俺は結構読んでいた。それが満を持して本になったのだから買うしかないということで買って読んだ。結果から言うとこの本はとても丁寧で面白くて、いい本だった。

www.editus.jp

↑まだ連載verも読める。

 

この本の始まりは正義とか公正とか、我々が使いにくい(お題目っぽい、『思想が強い』と言われがちな)言葉を『ことばの意味は、その使用である』という立場で検討していくことから始まる。ここでのキーパーソンはロールズという政治学者だ。名前は他の本でも見たことがったのだけど彼が何を言っていたのかはほとんど知らなかった。彼の「正義」と「善」の区別ということばへの切り分けが以降も様々なところで引用されていく。この部分を読んでいて『ふだんづかいの倫理学』を思い出した。この中でも正義は理念と方法に分けられるとされている。今思うと『ふだんづかいの倫理学』は本当に実践的に書かれていてこういう切り分け方もできますよというケーススタディを提示してくれる本だった。その理解が『公正を乗りこなす』で更に理論としての理解に変わっていったような気がする。

と読み進めていって個人的には6章の『「関心」を持つのはいいことか』というところが面白かった。ここまでで検討されたアメリカにおける正義や道徳観と日本のそれがいかに異なるのか、それはどう異なるのかという話が展開され『「無関心」としての「寛容」』というものが提示される。世の中すべてに社会的な関心を持って自分ごと化するのではなく、積極的な無関心による寛容さを持ったほうがいいという話はそのままTwitterのおすすめ欄に当てはまる。あのフォローすらしていない人のツイートが濁流のごとく流れる場所は自分ごと化を常に迫ってくる。いっちょかみ欲をぐっと堪えなければいけない。

そして本全体のⅢ章以降は、はっきり言って難しい、と感想を書くために本を読み直して感じている。「残酷さ」という公正に反する概念が出てきてトップダウンボトムアップ両方から公正というものが考えられるからだろうか?でも実際に日常で我々が考えて、言葉を使い「こなす」ためにここの章は重要だ。自分で線を引いた部分でいうと

相対主義を唱えることはむしろ、最も安易で怠惰なまちがえない表明だからです。勇気を要するのは、自身が奉じている理念の正しさにコミットし、説明を尽くしたうえでなお、批判に対してはオープンであり、場合によっては自らが奉じる概念を改訂・撤回しうるという姿勢をつらぬくことです。

これは公共的な責務とされるのだけどなかなかにキツイ言葉で自分は今まで成功したことがないようにも思える。これから大人の条件としてこの文章を挙げてもいいくらいだ。

ともかく(感想でともかくとか言ってはいけない)、問題提起である会話が打ち切られる行為は明確にWEBにはびこるあれやそれやを射程に入れておりそういう意味でもSNSを見てしまう人にはおすすめです。

 

そして勝手に今年の話をすると、人文書を読む中で特定の話題について長く、言葉を尽くして、先人を引用して書かれる本という媒体のありがたみを強く感じた1年だった。ことばの使い方は考え方に直結するので、俺なんて無意識の1文が140字に収まるように

脳がツイッタナイズされてしまっている(そしてこうした病理が『言語化がうまい』とされる現状もある)。こうした状況を脱し、物事を長く捉えて長い文章を読み、できれば長い文章を書き、血肉に活字を行き渡らせる、そういった生き方をしていきたいなと思っています。