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同人作家の同人以外の雑記が主です

ミームで会話してしまうことのちくわ大明神性について

Twitterで『会話をミームでしか行えないオタク』というトピックを見た。この言葉は最近の自分の危機感と一致している点があった。つまり俺はミームを使いすぎている面がありそれによる支障も自覚している。本当にいいのか?というか、本当にミームが悪いのか?

 

まず、ミームとは何か(ネットリ)

ミームという言葉は海外のもので、定義を引いてみると『脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報であり、例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である』と出てくる。かっけ~。Wikipediaまんまの話をしてもつまらないので格を落として言うと、ミームとはインターネットオモシロワードのことだ。昔で言えばコピペである。今TLを席巻している猫ミームとかがいい例。ミームの特徴は節操がない広がりにある。ミームはそのネタ自体でありネタが広まる過程でもある。ニコニコ動画で新しいアニメの一部分が流行るたびに音MADが作られていきその元ネタが古くなっていき…太古のフタエノキワミやチルノの算数教室に到達していくような、広がりの過程。それがミームだ。この節操の無さというのは大事で、ある一定の条件下でしか使えないミームは廃れる傾向にあると思う。もっと幅の広い何にでも合うが素材本来の味は失われない微妙なバランスが古くからのミームにはある。

 

急にミームが来たので

何故オタクはミームを口にしてしまうんだろう。その原因の一つとしてミームが内輪ネタだというのがある。人は自分と共通点がある人と関わりを深く持つ傾向にあり、オタクは特にその関係性を知識や、知識のバックボーンに見出す。同じアニメを見ている、同じ音楽を聞いている…そういう文化的情報をいちいち説明するのは面倒だが、『あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~』と一度口にすれば、ミームを理解する者同士で『10年代中期のきららアニメ作品をニコニコ動画で視聴していました』という情報交換が成立する。ミームには分かる人にはわかる大量の情報が埋め込まれておりこれを発し、受容された瞬間には得も言われぬ幸福感が伴う。この快感を求めて日々オタクはミームの交換に勤しんでいる。

 

じゃあなんスか。ミーム使っちゃだめっていうんですか

ではミームというものが最初のツイートで指摘されるように何故悪いものとされるのか。それはミームがあくまで内輪ネタでありネタがわからない人には意味不明な文字列だからだ。古いミーム(コピペ)の中に『ちくわ大明神』というものがあるがネタがわからない人からすればミームはまさにこの『ちくわ大明神』に過ぎない。会話の脈絡を無視して唐突に投げ込まれる意味のない発言。これを人前で繰り返すことがゆくゆくは人間関係の喪失につながっていくことは明らかだ。こうした長期的で実際的な問題の他にミームは会話における別の問題をもはらんでいる。リチャード・ローティという政治学者は、会話を『それ自体が営まれる以上の目標がないもの』と定義している*1。そしてこの会話はある方法で毀損されるとも。それは会話が多様性を失うことーーつまり"「会話を打ち切る」タイプの言動がはびこること"だ。そしてミームはこの「会話を打ち切る」タイプの言動に他ならない。例えば「お昼、パスタかそばどっちにする?」と聞かれたときに「答えはお死枚…☠ 死神クイズに正解者はいらない」と返したとする。この会話はここで打ち切られてしまう。質問者がハンターハンターを知らないときこの答えは何も意味しない長ったらしい謎の回答であり会話は成立していない。これが冒頭の『会話をミームでしか行えないオタク』という言葉がなんか悪い意味に取られる理由ではないかと思う。ミームはそれ自身の持つ内輪ネタ性により会話を打ち切ってしまうので、良くない。こうしてオタクは会話ができず孤独になる。

 

あなたがミームを発するときミームもまたあなたを発している

とオタクを看取ったところで…しかしミームっぽい考えはオタクコンテンツの切り抜きだけにとどまらない。我々が社会で会話をするとき、その会話に他人の言動をコピペして対応してしまうことがある。youtubeで見かけた動画の名言を引用してしまうことがある。それがミームでなくとも、自家製のミームを発してしまうとき自身の会話の多様性は人知れず失われていく。また、このミーム(コピペ)の出どころが権威的な人物だったりするとたちが悪い。ビジネスにおいて何でも野村克也の名言を引用する人はミームの隘路に嵌っている可能性が高い。こっちは知らない謎の有名人をすぐ参照する人は自分が気持ちよくなるために名言のコピペを行う傾向にあり、つまりちくわ大明神になってしまっている。結局『~なオタク』というのはインターネット専用の刃であり社会一般でいう『空気の読めない』人がいるというだけなのかも知れない。ちくわ大明神にならないために我々は見て聞いた文字を咀嚼し、自分の血肉に還元していかなければならない。ワイトもそう思います。

 

*1:『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』5章